2011-12-30

みかけしな [ANIME]

コトヌーではよく露店で映画のDVDを売っている。いわゆる海賊版DVDというもの。何故か、包装材は全て一辺倒で15cm×25cmくらいの厚紙がカラープリントされて透明なプラスチックカバーに入っている。作りが同じということは、海賊版といえども、どこかの大手団体が一手に製造しているのだろうか?
 それにしても、コトヌーの店頭で正規版輸入CDを入手することはほぼ不可能だと思う。そういう店は存在しないに等しい。私は一軒だけ正規輸入CD店を知っていてたまに購入しているが、近いうちにテナントビルの取り壊しによってその店も閉店することになっている。そしてなにより、正規版は高すぎる。月収4万FCFA程度の人がざらにいる中で、CD一枚2万FCFAとは。実際には私を含めてそれを購買可能な人たちも存在するのだけれど。コトヌーにいると、自分のそういった立場というのをしばしば考えさせられる。まあどちらにしろ今はネットで音楽を購入する趨勢だから、店頭販売のCD店がコトヌーにできることはないのかもしれない。(と言いつつも、ベナンのネット回線の現状からすると現時点ではダウンロード購入もかなり苦しいのだが。)
 ところで、露店にハリウッド映画や名の知れた音楽アルバムなどのコピーが置いてある場合は、明らかに著作権の問題のある海賊版だと判断できる。しかし、ベナンのローカル音楽CDやVCD、ノリウッド映画や西アフリカ圏のテレビドラマっぽいDVDなど、果たしてそれが正規版なのか海賊版なのか勝手な編集版なのか私には見分けることができない。正規版らしく高い値段がついているものでも、普通紙と家庭用プリンター程度の画質で印刷されたパッケージなので、先進国の製品に慣れている自分には海賊版に見える。
 映画DVDとして日本のアニメもたまに見かける。「キャプテン翼」、「ドラゴンボール」、「ナルト」など。おそらく、いったんフランスで成功した作品がコピーされて出回っているのだろう。考えてみれば、フランス語吹き替えやフランス語字幕で映画を見るということは、フランスを経由しないと映画を見れないということなのか。例えば、フランス本国で「ナルト」が流行って「ワンピース」が流行らないとすると、ベナンにはナルトしか入ってこないことになりそうだ。(実際にベナンでは「ワンピース」は流行ってなさそうだが、フランスではどうなのだろう。)
 正規版を見た人はほぼ0に近く、元々の漫画という形状に触れたことのある人も限りなく0に近いと思うが、NARUTOはけっこう好かれているっぽい。

2011-12-13

みかけしな [コトヌーミシュラン]


ミシュランくんのコレクションするにはコトヌーはいいとこだと思われます。

2011-11-26

みかけしな [モスケ・カダフィ]

平日に漁港で活動していてお腹が減った時は、漁港の裏にある「カフェテリア」で食事をとることが多い。ここコトヌーで呼ばれるcafeteria(カフェテリア)とは、コーヒー(カフェ)とスパゲッティ、卵焼き、あとヨーグルトを提供する露店のことである。このカフェテリアはコトヌーの街に溢れていて、その大半が同じような外観である。木造で建てられた一部屋のキッチン、キッチンを取り囲むように三方を囲む客席、壁や椅子は青もしくは稀に緑で塗られている。メニューに関しても例外は殆どないようで、スパゲティには常に「赤」と「白」がある。具はどちらも共通でサイコロ状の羊肉、玉ねぎのスライス、トウガラシが入っているが、白は塩と化学調味料(MAGGI)による味付けで、赤はそれにトマトソースが加わっている。値段は300FCFA(60円)。外観もメニューも値段も同じであれば、そこで働いている人も似通っているようで、殆どの店はギニア、ニジェール、マリ辺りの国の出身者によって運営されているようだ。であるから、彼らはイスラム教徒であり、店の近くでござをひいて祈りをしている所なども見かける。

 漁港の裏のカフェテリアのある区画はバラック街であり、人とバイクとリヤカーが通れるほどの細い道沿いに屋台や飲み屋や雑貨などが連なる100mほどの通りである。その通りの裏には舗装された道路があり、そこには高級レストラン、中級レストランなどが複数ある。この区画は更に道幅の広い舗装道路をするために整備対象になっていて、最近は立ち退きを迫る警告なども発せられている。先週には店々の壁に赤色のペンキでバツ印が描き殴られ、「壊す」「破壊する」などの単語も併記された。なぜ、ここに舗装道路を通さなくてはならないのかカフェテリアの面々に聞いてみると、「この先に大きなホテルが建設中で、そのホテルのために車両が通れるようにするためだよ。」とのこと。確かに立派なホテルが出来上がりつつあるが、「にしても、なぜ?」というような質問の答えを並べると、「あれはヤイボニ(大統領)のホテルなんだよ」、「カダフィとオマールボンゴが援助してるんだよ」、「最近バラック街の整備はコトヌー市が積極的に進めているんだ」などとのこと。どうやらホテル側には、何がしか利権がありそうだ。
 そういうわけで、利用者の一人としてその区画の行く末が気にかかって、壊される前に、と高級レストラン(こちらは値段4000FCFAほど)に一度食事しにいったり、カフェテリアにも毎日のように足を運んでいる日々。昨日も昼頃に赤スパゲティを食べていたら、店主がバイクタクシーを店前まで呼びつけてこれから出かける様子。バイクタクシーに行き先を告げる彼の言葉を聞いていたら、「モスケ・カダフィまで」と。思わず、店で働いている知り合いに「モスケ・カダフィってあのカダフィの?」と聞いたら、彼(リビア)の援助で建てられた大きなモスケだとのこと。彼の死の報道に触れて、何の前知識もなかった私は、この大ニュースに興奮している人たちの反応に残念だという気持ちも少なからず含まれていることに、なんとなく気づいた。なんでか話を聞いてみると、「彼(リビア)はアフリカ諸国に今までたくさんの援助をしてきてくれたから、」だと。ベナンについて今まで聞いたところでは、そのモスケ、アラブ・イスラム文化学校、舗装道路などに援助してきたらしい。モスケと学校に関してはイスラム教徒しか受益のできない質のものだが、舗装道路というのはかなり大きなインパクトがあるのではないかと思う。舗装道路が通るというのは今の日本でいえば高速道路や新幹線が通るという感じか。
 いったいどれほどの援助があったのか全体像や、今回のリビアの報道を巡っての真偽など、知りたいですが、真実を知るのって労力が必要で疲れるものですね。ネットで下記ブログを読んでたら、「独裁者が倒されて民衆が歓喜する」みたいな定番通りの映像を流しておけば、受け取る側は知的負担なくそれを事実として受け入れる、というようなことが書いてあった。
そうだよなあ、ニュース見るのも楽なのがいいよなあ。見て、ふむふむ納得、くらいが精神衛生上いいし。ニュースってのも、音楽をサプリメントとして聴くのと同じような効用があるのだろうか、などと考えはじめたり。とりあえず、暑い中モスケを見に行くくらいの負担は僕にも負えます。

(写真後掲)

2011-11-22

まじないの木

コトヌーで何か書籍を購入したい場合、市内にある三つの大型書店に出向いて探すことができる。その内の一店はノートルダム書店という名前で、ノートルダム教会というカトリックの教会の隣にある。売り場は1階と2階があるが、特徴としては二階売り場の半分ほどは宗教コーナーで占められていること。カトリック教会のとなりにあってその教会と同じ名前をつけていることからも、教会と書店にはおそらく強い繋がりがあるのだろう。
 先日11/18から11/20にベナンを訪問したローマ教皇は、このノートルダム教会を訪れて演説を行ったそうです。今回の教皇ベネディクト16世のベナン訪問により、ベナンは(いや、コトヌーの状況しか分からない身分としてはコトヌーでは)大騒ぎでした。訪問二週間前あたりから、普段は外国資本の広告が貼られている大型看板に教皇からのメッセージが書いてあるポスターが貼られ、教皇を歓迎するビラも至る所の壁や柱に貼られだしました。教皇の訪問当日は見物客や支持者で一部の沿道が賑わっていて、交通規制も行われました。自分自身は最近暑くなってきているために炎天下の見学はせず、ラジオやテレビで始終流れている各所での教皇の演説が聞こえてきた程度でした。ベネディクト教皇は多言語に精通しているらしく、英語、フランス語、教会ラテン語?など複数の言語で演説していたのが印象的でした。フォン語の台詞を加えた演説もあったとか。
 そう、ここにはフォン語の聖書というものが存在している。キリスト教徒は世界中にたくさんいて様々な言語に翻訳された聖書が存在するのは想像に難くないけれど、ここコトヌーで生活してフォン語という言語に触れてみると、フォン語は文字のない言語だという点を思い出す。日常的にフォン語は読み書きされるということがなく、アルファベットによるフォン語の表記方法が確立しているものの、かなり少数の人しか習得していないのが現状。元来、文字表記のない言語であの長文を翻訳して書物にするというのは、かなりの膨大かつ困難な作業だろうと思う。そういえば、以前このブログで書いたフォン語フランス語辞書はベナンに長く住む宣教師が主著者だった。布教・宗教の動機というのは凄い力があるんだろう、と感じる。
 そして東京の街角にあってコトヌーの街角にない人種は、本を読む人。街角や移動車内で本、雑誌、新聞の類を趣味で読んでいる人は少ない。それは、一定数のベナン人は文字になるフランス語を母語のように習得している訳ではないのが理由の一つだろう。かといってフォン語は文字表記しない言語でありフォン語で書かれた書籍というのは、一般的にはそれこそ聖書くらいなものだろう。しかしながら、大型書店の一つバファロー書店ではフォン語による民話の絵本などが売られていて面白い。学校で現地語教育を取り入れることを考えている人たちも一部にいると聞いた。
 親が子供に教育を受けさせたいという動機も強いものがあるのは日本でも耳にしていたが、大型書店では教科書の売り場が広く、おそらく保護者であろう女性が購入しているのを多く見る。大型書店以外に書籍を扱う場所としては、街中や道端で教科書のみを売っている書店が多く見られる。私も、家の近くの教科書店で、ベナンの学校で教材として使われているベナン人著者による小説"L'arbre fétiche"(まじないの木)を買って読みました。何故かこの本はカメルーンの出版社によって出版されていて、ますますベナンにとって本と文字はあまり縁がないのかと感じます。
 ベナンに来たからベナンの本を読みたいという要望は、本という形を求める時点で自分の出自の文化とこちらの文化の差異を感じさせます。これからもそれは変化しないのか、発展・成長とかいうことを考える時にはどうしても先進国・発展途上国という物差しをあてることになりがちですが、そこを離れて考えてみたい。となると、やはり私はそんなことを論ずる本を読むのか、それとも、、、

2011-11-15

みかけしな [挨拶回し]

ある同僚との朝の挨拶(フォン語と一部ミナ語を含む)

同僚「よく寝れた?」
私「うん、気持ちよく目覚めたよ。あなたは?」
同僚「うん、私も元気だよ。」
同僚「昨日はどうも」
私「こちらこそ」
同僚「奥さんは元気?」
私「元気だよ。」
同僚「子供たちは?」
私「うん、元気だよ。」
同僚「実家は大丈夫?」
私「うん、大丈夫大丈夫。」

 やっとここからフリートーク開始。この同僚とは上記と寸分たがわぬ挨拶をほぼ毎日繰り返しています。こちらでは、挨拶を必要不可欠の習慣としていて、私自身も一日中よく挨拶しています。挨拶の内容の特徴として、相手が平静な状態にあるかを確認する質問形式になっている点に気付きます。相手自身の状態はもちろん、相手の身内も含めて質問することが多いです。上の挨拶には含まれていませんが、健康はどうか、商売はどうか、という質問が加えられることもよくあります。それを確認してからフリートークを始めるのが一種の礼儀なのではないかと私は思っています。日本で喪中かどうかを気にするような感覚なのではないかと。
 ところで、私のことを知っている人はいつ結婚して子供ができたのかと思われるかもしれませんが、そういう訳ではないのです。半分は嘘をついているけれども、日本人の感覚から離れれば全部嘘ではないと私は思う。
 まず奥さんに関して:ベナンでは日本に比べて平均結婚年齢が低く、一人の成人・社会人としては妻帯していることが非常に重要だと考えられているようです。また届出を出していなくても事実婚という形もあるので、私のような二十代後半の男性に対して奥さん(彼女)のことを質問するのは自然な流れだと思われる。
 子供たちに関して:知り合いのベナン人や西アフリカの人と話していると、家族という言葉で括られる共同体の範囲は自分の思い浮かべる家族よりも大きい場合がよくあります。血縁・親戚のつながりを重要視して大切にしていること、一夫多妻で家族構成が複雑にな場合もあることなども影響しているかもしれません。たとえば兄弟という言葉は、親しい親戚の子供たちを呼ぶ時にも使っているのを耳にします。
 とゆうわけで、奥さんも子供もいないけれど、半分は本心で答えていることになるかと。

2011-10-13

みかけしな [Français-Fongbe辞書]

とうとう、折り良く、フォン語辞典を見つけました。
ベナン国に来て一年と三ヶ月が過ぎ、コトヌーに留まれるのもあと九ヶ月になりました。日々、協力隊としての活動や音楽活動などこの町で楽しく過ごさせてもらっていますが、帰るまでの月日を指折り数えながら、既に後悔している、というか帰ったら後悔するだろう、と悩んでいることが、この町の二大言語の一つフォン語との付き合い方。もう一方の主要言語フランス語については、活動のため交流のため自分のため、習得をしようと思ってきましたが、フォン語に関しては非常にお粗末と言われて当然な状況です。悩みとは、フォン語を話せない自分のお粗末な状態のことではなくて、この言葉を粗末にしてきた自分に対する疑問です。

この町で生活する私にとってのフランス語とフォン語の必要性を考える。
活動のためという点ではどちらかがより有用だと簡単に判断できない。
交流のためという点では、コトヌーにいるベナン人の多数はフランス語とフォン語の両方を話す。それ以外にフランス語で話せるのは北部などフォン語圏外から来たベナン人や外国人で、逆にフォン語でのみ話せるのは、初等教育を受けていないフォン語圏の人達。
自分のため、を考えると、フランス語の本が読める、映画が観られる、ニュースから情報が得られる、フランス語圏の人と話せる、というような将来的なことも含めた受益が多くあるような気がしてくる。フォン語の本・映画はほとんどない、フォン語圏の文化、特に音楽に対しては興味もあるが、フォン語を今後使う機会などないような気もする。
また学習環境の違いとして、フランス語に比べると、フォン語には外国人学習者用の辞書、文法書などが充実していないという状況があります。今回、コトヌーの書店にて初めてフランス語-フォン語辞書を見つけた次第です。
まとめると、今まで、二つの言葉・文化の、話しての数の違い、質の違い、それに対する優劣判断、実用度、学習環境、等を並べて優先順位を決めようとした結果、フランス語ばっかりやっていた訳です。

しかし、その浅薄と疑われる価値判断に気分も悪くなり、フォン語への未練を引きずっており、フォン語辞典を書店で見つけた時は、よし今ここからがフォン語学習の本格開始だ。とベナンに来て数度目の決意をしました。

2011-09-22

みかけしな [イルカ号とサカナ号]


 
 私はコトヌー零細漁港に青年海外協力隊の統計という職種で配属されているので、元々は水産統計に関連する活動からスタートしたのですが、最近は漁港の広報に関わるような活動に主軸を移しています。例を挙げると、お客さんのための簡易案内板やパンフレットの作製、そして今やろうと意気込んでいることが、ウェブサイトの立ち上げ。
 そんなわけで必要だと思っているのが、漁港の全体像を見渡せるような写真。アイディアとしては、見晴らしの良い海側から写真を撮るか、近くの高い建造物に登って写真を撮る方法が考えられます。実はすぐ近くに格好の灯台があるのですが、軍事関連の施設らしく写真撮影の許可は降りないようです。しようがないので、漁港のすぐ隣に海に向かって伸びている大型船舶用の埠頭に入らせてもらい、写真を撮ってたのが上の写真です。漁港全体がすっかりと入ってなるべく近い所から撮影したいのですが、そうするとDAUPHIN(イルカ)号が自分が主役だと言わんばかりに鎮座礁しているのです。

 広報の活動をしようと考え始めてから、やはり景観による清潔感のイメージなどはお客さんを捕まえるのに大事かなと思うようになりました。一方で、現在の乱雑で時に異臭がする漁港にエネルギーを感じるような気がして、どっちが素敵なことか分からないとも考えています。余談ですが、今週はコトヌーのフランス文化センターで催されているヨーロッパ映画週間に毎日通ってヨーロッパ映画を観ているのですが、暑くて雑然としたコトヌーに一年以上住んでいるからか分からないけれど、特に北のほうオランダとデンマークの映画に写る街の景色を観ていてその整然さに違和感と落ち着かなさを感じました。
 漁港の話に戻ると、漁港には小さなポイステされたごみから大きなコンテナなどの粗大ごみ、それから生ごみなどが散らかっていて、景観や衛生的によくないと感じます。それで大きなゴミは一回片付けてしまえばそれでお終いなので機会を見つけて撤去してほしいと思っています。さっきのイルカ号も漁港前に鎮座礁してからもう何年も経ちます。そして最近漁港に入港してきてかれこれ一ヶ月ほど居座っている船があります。
SAKANA号です。どちらの船も小耳に挟んだところによれば日本がベナン政府に供与した船だそうです。廃船になるのは様々事情があると思いますが、漁港に捨てっぱなしはよしてほしいです。

2011-09-02

みかけしな [約1m×1m×2mちょい箱]






 約1m×1m×2mちょいの箱形店舗。コトヌー市内の道沿いに点在。 箱の中の人が雑貨やテレフォンカードを販売している。 ベナンでは携帯電話はプリペイド式のため、数百FCFAから数千FCFA単位で頻繁に通話料のチャージが必要であり、写真下のようにテレフォンカードに特化した店も見られる。ベナンに来たときからたまに買いに来ていたこの店、閉めてしまった。彼は今はなにをしているんだろう。
 基本的に窓は正面左右の三方に開いており、どこからでも買えるような気がしないでもない。 屋根が後ろに少しだけ傾いていることで、機能性を持たせつつ固すぎない印象を与えているよう。

2011-08-31

さよなら夏の光

っていう小島真由美の曲が好きで、最近音源を聴いたり、ギターで伴奏して鼻歌ったりしています。
 八月が終わるといえば、長年学生として夏休みを繰り返してきた自分としては、=夏休みの終わり、を連想させます。

 Oh, summer sunset past the view in the slow days
 Orange days, orange sky in the slow days
 長い 長い 夏休みは 終わりそうで終わらないんだ
 別人になる 夢を見る 子供の頃の顔をする
 、、、

フィッシュマンズ「SLOWDAYS」

 僕はこの曲を聴いたときに、自分が子供の頃に別人のように変わる自分を夏休みの間にいつも想像していたのを思い出しました。まあ俗っぽく言うと、新学期デビューするって感じか。(この歌の言いたいのは別のことかもしれませんが)
 去年まで大学院に居たときも、夏休みの間に研究も進めていましたが、大学のキャンパス内は閑古鳥が鳴いているし、思えば小学生の時にも宿題や自由研究をしていたし、気分は夏休みでした。
 今年は、夏休みというのを幼稚園入園前以来か分かりませんが、意識せず過ごした年でした。協力隊員(ボランティア)という身分ではありますが、職場で職員と共に仕事をしているので、職員と同じようなリズムで活動をしています。

 もう一つ、ここ西アフリカのベナンのコトヌーにいる僕としては、この八月といえば、=ラマダン、でした。そして今日は約一ヶ月前の8月1日に始まったラマダンが終わった翌日8月30日です。といってもイスラム暦にしたがって行われるラマダンは西暦では毎年11日程ずれていくそうで、今年のラマダンがちょうど八月にすっぽり入ったのは偶然です。
 ここコトヌーではどれくらいの割合か知りませんが、イスラム教徒も多く、モスケも複数存在します。知人・友人にもイスラム教徒はかなりいるので、日本を違って身近なものです。ラマダンといえばやはり断食のイメージですが、ラマダンというのは単なるイスラム暦の月の名前だそうで、断食自体には別の呼び名があったりします。僕の周りではフランス語のCarêmeという言葉を使っています。
 去年ベナンに来てから今回が人生で二度目のラマダンを身近に見る機会で、イスラム教徒の友人に色々質問したりもしますが分からないことも多いです。ここベナンの経済首都コトヌーの場合は、イスラム教徒以外にキリスト教系やヴードゥー教などの人も多く、彼らは日常生活では垣根なく付き合っているようです。
 例えば以前あったヒトコマ:断食の最中の昼間に、無宗教の友人一人とイスラム教徒の友人一人と昼ご飯を食べに行き、僕ともう一人の無宗教組は飯にありついて、もう一人のイスラム教徒の友人は一緒にいるけど食事も飲み物もとらずおしゃべりだけしていた。
 こんなことは何度かあって、昼間の断食は日常風景です。それに、ここコトヌーでは不敬虔?なイスラム教徒も多いので、昼間食べたり、お酒飲んだりする人もいます。(病気の人などは食べてもいいらしいので、その辺の判断の仕方も影響しているのか)

 そんな断食が終わって今日は祝日だったんですが、僕は普通に職場で活動していました。最近、自分的には活動が軌道に乗っているし、楽しいです。他の職員も平日の祝日はけっこう出勤しています。今日は同僚のイスラム教徒だけはお休みしていて、きっとラマダン明けを祝っているはずです。

 、、、
 「大人になんてなりたくない」あなたの残した言葉と影
 さよなら元気でいつの日かまた会いたいね
 、、、

小島真由美「さよなら夏の光」

とゆうわけで、こんな曲がマイブームだった僕は、相変わらず夏休み気分が抜けないよう。
(この記事をここまで書いてきて今気づいたんだけど。)

2011-08-05

world music current 6

 8月1日はベナンの独立記念日でした。1960年のその日にベナンは宗主国であるフランスから独立したということです。その年には多くのアフリカの国が独立を果たしたので、アフリカの年とも呼ばれるそうです。記念日が何日か過ぎた今日でもコトヌーも町にはいつもより多くのベナン国旗が多くの政府機関で翻っています。また記念日前にたくさん売っていた手持ちサイズの国旗を飾っている車なども多く見られます。独立記念日には各地で記念行事(おそらくお祭りか)があり、特に毎年ごとに一つの町が選ばれ、そこでは大きな記念式典があるそう。今年は北部のnatitingouという町で式典が行われたそうですが、諸事情で私は移動できない身だし、テレビも見ることがないので、これから人の噂を頼りにするのみです。本当はラジオ情報通になりたいのですが、まだまだ語学力が不足しているのと、ローカルな情報に関してはフランス語ではなくフォン語などのほうが多く使われているのが現状です。
 
 そんな中で自分のラジオや、誰かが道端で聞いている放送から聞こえてきた曲があります。"Indépendance ChaCha"(独立のチャチャ)という曲です。タイトルに含まれるチャチャという言葉を見れば、これがキューバ由来のチャチャという音楽ジャンルと関係があることが推測されます。けれどもこの曲を作曲・演奏したのはコンゴの音楽家のGrand Kallé et l'African Jazzという人たちです。まあ元々はアフリカから奴隷貿易で多くの人がキューバなどの中南米に連れて行かれ、そこでまた多くの人種・文化の混合によって生まれてきた音楽がルンバやマンボやこのチャチャだと言われていることを考えると、逆輸入のようなものだとも想像されます。実際にベナンにでは、町で流れている音楽を聞いて、(自分の思う)ラテンぽい曲が結構あるなということを感じました。ベナン人もその歴史的背景をもちろん知っているし、どうやら踊ったり演奏する彼らを見ているとしっくり来ている様子です。楽しそうで。
 話を戻すと、この"Indépendance ChaCha"はその「アフリカの年」と呼ばれる1960年に西アフリカ一体で流行したヒット曲だそうです。前述した音楽の親和性もあると思いますが、歌詞の内容を見ると歌いだしの部分は
「私たちは独立を勝ち取った 今私たちは自由だ 円卓会議で私たちは勝利した 万歳私たちの勝ち取った独立!」
原語はリンガラ語で歌われていて、翻訳されたフランス語から自分で訳したので少し間違いがあるかもしれませんが、このように独立の喜びを歌い上げた曲です。楽しげに明るく。(曲を聴いてください。)
円卓会議というのは、1960年の1月にベルギーのブリュッセルでベルギー政府とコンゴの独立運動諸派の間に開かれた会議で、ここでその年の6月にベルギー領コンゴが独立することが決定したのです。この曲はその会議の開催中にベルギーで録音され、ラジオを通して大ヒットしたそうです。

(つづきはまた書きます。まあ聞いて欲しいです。)

2011-07-15

ガボン旅行記2

 国立公園でのサファリの後、次にLambaréné(ランバレネ)というリーブルビルから150Kmほど離れた町へ向かいました。八割がた道路はよく舗装されていましたが、その分スピードが出しやすく、対向車がいる状態で(たまに穴を避けながら=対向車線にはみだしながら)120Km/hの高速を出されると生きた心地がしません。本当に命を預けて観念するしかない。
 このランバレネという町に、あの有名な?Albert Schweitzer(アルベルト・シュバイツァー)博士が設立した病院があります。今でも現役で稼動する病院であり、そこに併設して昔の病院や病棟などが一般公開されています。私自身は伝記や著作や評論も読んだことがなく、どんな評価をされている人なのか知りません。
 そのランバレネを観た後は、また首都のリーブルビルに戻り飲み食いしてベナンへ翌日帰りました。最後の夕飯はある程度高級なレストランに行き、gibier(ジビエ)を食しました。レストランのメニューをめくると、ジビエというコーナーがあって、そこにはセンザンコウ、ニシキヘビ、サル、ワニ、、、などと並んでいます。ジビエという言葉が指すのは野生動物のようで、これはガボンでは名物とされているらしい。せっかくなのでセンザンコウ、ニシキヘビを頂きました。センザンコウは特に変わった味もせず、ニシキヘビは美味しいとは思えなかった。非合法的にはゴリラや象なども食べることができるそうで、野生動物が豊かにいるとういうのはやはり本当なんでしょう。
 ベナンに帰り、ジビエを食べたことをベナンの人に話しました。そこで分かったのは、ベナン南部では少なくとも、ニシキヘビを食べたということは言ってはいけないということです。ニシキヘビは宗教的に神聖な動物として扱われ場合があり、よもやその身を食べたなど御法度です。うっかりこのことを話した私は、ある知人から「Gabonais(ガボン人)!」と呼ばれるようになりました。もっと信心深い人に話していたら、大事になっていたかも。。。

(後で写真載せます)

2011-06-28

ガボン旅行記

 6/13より6/20までの一週間中央アフリカのガボンへと物見して来ました。 して来ました、というのはコトヌーに戻って来ました、ということで、 この町に着てから一年近く経つ今、わが住まいに帰ってきて安心する気持ちです。

コトヌーから離陸して海をひょいと渡ればガボンの首都Libreville(リーブルビル)に到着。
一時間半の空旅。
リーブルビルは海に面する街。

ガボン産のビール。Régab

 リーブルビルは海辺へのアクセスが非常に良いところ。 海岸から陸側に勾配のある地形なので、ある程度街中に入っても海が建物の隙間から見えるし、 海岸沿いに主要な幹線道路が走って、もうきっとここに海亀は来ないだろうけど、街の人にとっては海に近づきやすい。

 一般に観光客にとってのガボンの主たる魅力というのは、大自然。森林と野生動物。野生動物に関しては、ゴリラやゾウ、チンパンジーなどが見られるということで有名だそうです。私もリーブルビルにの対岸に位置するポンガラ国立公園内のGnonie(ニョニエ)という所にて一泊二日のサファリをしてきました。どうやらなかなか野生動物に遭遇できないという評判のツアーみたいです。確かにそうでした。

でもマルミミゾウの親子には出会えました。もちろんカメラはズームができたり写真は引き伸ばせるものですが、肉眼で見える現実はこんなところでした。

つづく

こんな風は

こんな風に飛行機に乗る私
雲の上で後ろにした森を想いながら
100%オレンジジュースを飲む私
いつもあんな風にTaxiに乗って
袋に入った水を吸いながら
街を走りぬける私

飛ばない鳥はこうして空で僕に食べられ
僕が残したバターはまだ融けない

歩く私、まだ知らない土地を歩く私
ミネラルウォータとオレンジジュースを入れてもらった

透明なプラスチックのカップを持って帰って
僕は家で水を飲む
こんな風に座ってまた考えて

2011-04-15

選挙せん


候補は11人でした

 
[左]みんなの候補ヤイボニ   [右]ひとりひとりに職を 全ての人の連帯  
 
[左]ベナンを前進させるために   [右]今、進もう!
 
[左]100万(FCFA)までの予算を女性組合へ 13o億5000万(FCFA)を 農村の女性へ
[右]25万の雇用を若者に 五年間で2つの大学を

2011-04-09

選挙かー

 ここ最近アフリカでは、いくつもの国で大統領選挙や国会議員選挙などが行われて、コートジボワールのように治安が大きく悪化した国については、日本のメディアでも報道がなされたようです。ベナンでもこの三月に大統領選挙が実施され、現職だったYAYI BONI(ヤイボニ)大統領の続投が決まったばかりです。

 写真はその大統領の選挙カーです。平和を象徴する鳩(葉っぱもくわえてる)の上に木彫りの本人像が乗っていて、側面には彼の選挙カラーである緑のペンキで、”ベナンとベナンの繁栄のため みんなヤイボニに投票しよう”というようなメッセージが書かれています。
   ベナンの選挙の争点はなんだったのか
と言われると、実はよくわかりませんでした。(半分以上は勉強不足のせいです)
選挙ポスターなどには、漠然と繁栄、未来、前進などの単語が書かれていた。
ベナンの人達、僕の周りにいるおばちゃんおじちゃんお兄さんたちは、選挙前も選挙中も選挙後も、とにかく、なんでもいいから、平和が大事だと口を揃えて言う。あまりにもそれが浸透しているのが不思議なくらい。

2011-04-05

飲み水


(あまりに最近、何も発信していないので、無理せず書きます。)

出先で喉が渇いた時は、「袋水」。
道端でおばちゃんが、保冷ボックスに氷と一緒に入れて売っています。
ひとつ25FCFA(5円)で、たくさん銘柄がありますが、値段はどれも一緒。
個人的にはベナン産よりガボン産のほうが美味しい気がする。
容量は500ccもしくは600cc。といっても一度600ccと表記されているものを計量したら、550ccくらいしかなかった。
   そのいい加減さになぜかほっとする
お店には500ccのいわゆるペットボトルのミネラルウォータもありますが、
こちらは400FCFA(80円)くらいします。お金を持つ人の飲み物です。
コカコーラにしてもスプライトにしても500ccペットボトルは約400FCFAで売られており、多くの人はペットボトルを購入する機会がない。しかしながら、あの容器は丈夫で密閉性もあり非常に便利なため、他の飲み物を入れたりして広く二次利用されている。空のペットボトルを買い集める人もいるし、ペットボトルをぽいと捨てれば、誰かが目ざとく見つけて拾っていく。

2011-03-18

桜見

あの日、町が寝静まって静かだった夜

ぼくらは町を出た

夜の町をすいすい通り抜けて

穏やかな海のある西のほうに


途中休憩した山の中

しんしんと冷え込む冬の空気は

静かで

これが本物、なんだろうと思った


青く濃い空に、真夜中でも深く明るい宇宙


着いてみれば西の海は

波は荒く

風はときおり大きな音をたてる

けれどやっぱり静かに息づいていた


町の冬は

さっきまで遠くで

本当に静かにひとつの風景で


それが今、

あの夜の山の中で桜の木が咲き始め

桜見はもうすぐ

寒さに凍えるだれかと

そうじゃないぼくらの夢の中で

やすらかにはじまる

 
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