2011-08-31

さよなら夏の光

っていう小島真由美の曲が好きで、最近音源を聴いたり、ギターで伴奏して鼻歌ったりしています。
 八月が終わるといえば、長年学生として夏休みを繰り返してきた自分としては、=夏休みの終わり、を連想させます。

 Oh, summer sunset past the view in the slow days
 Orange days, orange sky in the slow days
 長い 長い 夏休みは 終わりそうで終わらないんだ
 別人になる 夢を見る 子供の頃の顔をする
 、、、

フィッシュマンズ「SLOWDAYS」

 僕はこの曲を聴いたときに、自分が子供の頃に別人のように変わる自分を夏休みの間にいつも想像していたのを思い出しました。まあ俗っぽく言うと、新学期デビューするって感じか。(この歌の言いたいのは別のことかもしれませんが)
 去年まで大学院に居たときも、夏休みの間に研究も進めていましたが、大学のキャンパス内は閑古鳥が鳴いているし、思えば小学生の時にも宿題や自由研究をしていたし、気分は夏休みでした。
 今年は、夏休みというのを幼稚園入園前以来か分かりませんが、意識せず過ごした年でした。協力隊員(ボランティア)という身分ではありますが、職場で職員と共に仕事をしているので、職員と同じようなリズムで活動をしています。

 もう一つ、ここ西アフリカのベナンのコトヌーにいる僕としては、この八月といえば、=ラマダン、でした。そして今日は約一ヶ月前の8月1日に始まったラマダンが終わった翌日8月30日です。といってもイスラム暦にしたがって行われるラマダンは西暦では毎年11日程ずれていくそうで、今年のラマダンがちょうど八月にすっぽり入ったのは偶然です。
 ここコトヌーではどれくらいの割合か知りませんが、イスラム教徒も多く、モスケも複数存在します。知人・友人にもイスラム教徒はかなりいるので、日本を違って身近なものです。ラマダンといえばやはり断食のイメージですが、ラマダンというのは単なるイスラム暦の月の名前だそうで、断食自体には別の呼び名があったりします。僕の周りではフランス語のCarêmeという言葉を使っています。
 去年ベナンに来てから今回が人生で二度目のラマダンを身近に見る機会で、イスラム教徒の友人に色々質問したりもしますが分からないことも多いです。ここベナンの経済首都コトヌーの場合は、イスラム教徒以外にキリスト教系やヴードゥー教などの人も多く、彼らは日常生活では垣根なく付き合っているようです。
 例えば以前あったヒトコマ:断食の最中の昼間に、無宗教の友人一人とイスラム教徒の友人一人と昼ご飯を食べに行き、僕ともう一人の無宗教組は飯にありついて、もう一人のイスラム教徒の友人は一緒にいるけど食事も飲み物もとらずおしゃべりだけしていた。
 こんなことは何度かあって、昼間の断食は日常風景です。それに、ここコトヌーでは不敬虔?なイスラム教徒も多いので、昼間食べたり、お酒飲んだりする人もいます。(病気の人などは食べてもいいらしいので、その辺の判断の仕方も影響しているのか)

 そんな断食が終わって今日は祝日だったんですが、僕は普通に職場で活動していました。最近、自分的には活動が軌道に乗っているし、楽しいです。他の職員も平日の祝日はけっこう出勤しています。今日は同僚のイスラム教徒だけはお休みしていて、きっとラマダン明けを祝っているはずです。

 、、、
 「大人になんてなりたくない」あなたの残した言葉と影
 さよなら元気でいつの日かまた会いたいね
 、、、

小島真由美「さよなら夏の光」

とゆうわけで、こんな曲がマイブームだった僕は、相変わらず夏休み気分が抜けないよう。
(この記事をここまで書いてきて今気づいたんだけど。)

2011-08-05

world music current 6

 8月1日はベナンの独立記念日でした。1960年のその日にベナンは宗主国であるフランスから独立したということです。その年には多くのアフリカの国が独立を果たしたので、アフリカの年とも呼ばれるそうです。記念日が何日か過ぎた今日でもコトヌーも町にはいつもより多くのベナン国旗が多くの政府機関で翻っています。また記念日前にたくさん売っていた手持ちサイズの国旗を飾っている車なども多く見られます。独立記念日には各地で記念行事(おそらくお祭りか)があり、特に毎年ごとに一つの町が選ばれ、そこでは大きな記念式典があるそう。今年は北部のnatitingouという町で式典が行われたそうですが、諸事情で私は移動できない身だし、テレビも見ることがないので、これから人の噂を頼りにするのみです。本当はラジオ情報通になりたいのですが、まだまだ語学力が不足しているのと、ローカルな情報に関してはフランス語ではなくフォン語などのほうが多く使われているのが現状です。
 
 そんな中で自分のラジオや、誰かが道端で聞いている放送から聞こえてきた曲があります。"Indépendance ChaCha"(独立のチャチャ)という曲です。タイトルに含まれるチャチャという言葉を見れば、これがキューバ由来のチャチャという音楽ジャンルと関係があることが推測されます。けれどもこの曲を作曲・演奏したのはコンゴの音楽家のGrand Kallé et l'African Jazzという人たちです。まあ元々はアフリカから奴隷貿易で多くの人がキューバなどの中南米に連れて行かれ、そこでまた多くの人種・文化の混合によって生まれてきた音楽がルンバやマンボやこのチャチャだと言われていることを考えると、逆輸入のようなものだとも想像されます。実際にベナンにでは、町で流れている音楽を聞いて、(自分の思う)ラテンぽい曲が結構あるなということを感じました。ベナン人もその歴史的背景をもちろん知っているし、どうやら踊ったり演奏する彼らを見ているとしっくり来ている様子です。楽しそうで。
 話を戻すと、この"Indépendance ChaCha"はその「アフリカの年」と呼ばれる1960年に西アフリカ一体で流行したヒット曲だそうです。前述した音楽の親和性もあると思いますが、歌詞の内容を見ると歌いだしの部分は
「私たちは独立を勝ち取った 今私たちは自由だ 円卓会議で私たちは勝利した 万歳私たちの勝ち取った独立!」
原語はリンガラ語で歌われていて、翻訳されたフランス語から自分で訳したので少し間違いがあるかもしれませんが、このように独立の喜びを歌い上げた曲です。楽しげに明るく。(曲を聴いてください。)
円卓会議というのは、1960年の1月にベルギーのブリュッセルでベルギー政府とコンゴの独立運動諸派の間に開かれた会議で、ここでその年の6月にベルギー領コンゴが独立することが決定したのです。この曲はその会議の開催中にベルギーで録音され、ラジオを通して大ヒットしたそうです。

(つづきはまた書きます。まあ聞いて欲しいです。)
 
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