先日11/18から11/20にベナンを訪問したローマ教皇は、このノートルダム教会を訪れて演説を行ったそうです。今回の教皇ベネディクト16世のベナン訪問により、ベナンは(いや、コトヌーの状況しか分からない身分としてはコトヌーでは)大騒ぎでした。訪問二週間前あたりから、普段は外国資本の広告が貼られている大型看板に教皇からのメッセージが書いてあるポスターが貼られ、教皇を歓迎するビラも至る所の壁や柱に貼られだしました。教皇の訪問当日は見物客や支持者で一部の沿道が賑わっていて、交通規制も行われました。自分自身は最近暑くなってきているために炎天下の見学はせず、ラジオやテレビで始終流れている各所での教皇の演説が聞こえてきた程度でした。ベネディクト教皇は多言語に精通しているらしく、英語、フランス語、教会ラテン語?など複数の言語で演説していたのが印象的でした。フォン語の台詞を加えた演説もあったとか。
そう、ここにはフォン語の聖書というものが存在している。キリスト教徒は世界中にたくさんいて様々な言語に翻訳された聖書が存在するのは想像に難くないけれど、ここコトヌーで生活してフォン語という言語に触れてみると、フォン語は文字のない言語だという点を思い出す。日常的にフォン語は読み書きされるということがなく、アルファベットによるフォン語の表記方法が確立しているものの、かなり少数の人しか習得していないのが現状。元来、文字表記のない言語であの長文を翻訳して書物にするというのは、かなりの膨大かつ困難な作業だろうと思う。そういえば、以前このブログで書いたフォン語フランス語辞書はベナンに長く住む宣教師が主著者だった。布教・宗教の動機というのは凄い力があるんだろう、と感じる。
そして東京の街角にあってコトヌーの街角にない人種は、本を読む人。街角や移動車内で本、雑誌、新聞の類を趣味で読んでいる人は少ない。それは、一定数のベナン人は文字になるフランス語を母語のように習得している訳ではないのが理由の一つだろう。かといってフォン語は文字表記しない言語でありフォン語で書かれた書籍というのは、一般的にはそれこそ聖書くらいなものだろう。しかしながら、大型書店の一つバファロー書店ではフォン語による民話の絵本などが売られていて面白い。学校で現地語教育を取り入れることを考えている人たちも一部にいると聞いた。
親が子供に教育を受けさせたいという動機も強いものがあるのは日本でも耳にしていたが、大型書店では教科書の売り場が広く、おそらく保護者であろう女性が購入しているのを多く見る。大型書店以外に書籍を扱う場所としては、街中や道端で教科書のみを売っている書店が多く見られる。私も、家の近くの教科書店で、ベナンの学校で教材として使われているベナン人著者による小説"L'arbre fétiche"(まじないの木)を買って読みました。何故かこの本はカメルーンの出版社によって出版されていて、ますますベナンにとって本と文字はあまり縁がないのかと感じます。
ベナンに来たからベナンの本を読みたいという要望は、本という形を求める時点で自分の出自の文化とこちらの文化の差異を感じさせます。これからもそれは変化しないのか、発展・成長とかいうことを考える時にはどうしても先進国・発展途上国という物差しをあてることになりがちですが、そこを離れて考えてみたい。となると、やはり私はそんなことを論ずる本を読むのか、それとも、、、
0 comment:
Post a Comment
comments