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2012-05-14

スラム街のこれから Placodji

コトヌー市はラグーンの海への出口によって二つに分かれている。そのラグーンの出口付近の西岸から海岸に挟まれた地帯はplacodji(プラコジ)地区と呼ばれる。ここはコトヌーでも有数のスラム街と言われており、飛行機からもしくはラグーンにかかる橋からも水辺に面して広がる掘立小屋の区画が目に入る。ほとんどの住人は無許可でこの地区に小屋を建て住みついている。警察の手も入りにくいことから、犯罪者の逃げ場、隠れ場としても機能しているらしく、治安のコントロールができない地区として危険視されている。JICA関係者には恒常的に立ち入り禁止地域に指定されているため、私は実際に中に足を踏み入れることはできない。 この地区は私の活動するコトヌー零細漁港から数百メートルの近さにあり、実は漁港にいる漁師や魚の仲買人にはこの地区に住みついている人も多くいる。
以下は私の同僚が物見に出掛けていって得た情報である。彼によれば、先週から政府によってこの地区の岸辺付近の住居の取り壊しが始まった。波打ち際すれすれまで建てられていた小屋が重機によって瓦礫にされた景色が、二面の岸辺沿いに続いているという。

これは彼がプラコジ地区の一番端の河口側から撮影した写真だそうで、瓦礫の広がっている様子が見える。先週取り壊しが始まってのち、知り合いの仲買人が住む場所がなくなって困っているという嘆きも聞いたし、三日間に渡って抗議のデモ行進が漁港内を通りすぎていった。しかしながら、不法に住みついているといことや治安の悪さから、外部者にとっては壊されて当然という雰囲気があるようだ。(以下、デモの音源。コトヌーであまり聞いたことのないリズムでした。)

先週の取り壊しが行われた経緯については定かな情報を見つけていないが、3月にはやはりコトヌー有数の「スラム街」であるzongo(ゾンゴ)地区も取り壊され平地にされており、これはベナンの報道機関によると、コトヌー市当局が市の景観美化と魅力向上のために取り壊しを行ったとのこと。今回の場合、一説には漁港とプラコジ地区の間にある高級ホテルには国の資金が投入されているので、景観の改善やイメージ向上のためにも取り壊しが急いで行われたとも。
壊されてこれからどうなるのか知りたい。協力隊を終えてからこの地区に立ち入ることが今後あるかないか、今はよく分からないけれど。

2012-04-30

みかけしな [漁港の立んぼう]

漁港周辺で生業を立てている人といえば、漁師や魚の仲買人が主役である。それ以外にも、食べ物や日用品を売る人も多く見られるし、漁港の管理・運営をする職員たちもいる。

漁港の主たる機能は、漁船が発着し水産物が水揚げされて、それらが売り買いされることにある。水揚げされた魚が一杯に金だらいに盛られ、それを仲買人や漁師が頭上に載せて運ぶ。魚の盛られたたらいは30Kgほどにもなるから、いかに足腰の強くバランス感覚の研ぎ澄まされた彼らでも両手で支えて運んでいる。高級魚を狙う延縄漁を営む漁師たちは大きな荷車を所有して、これにハタやタイなどの大きな魚を入れて運ぶこともある。これ以外にも頻繁に漁港内を往来する荷車があり、これは魚の冷蔵用に使われる氷を運ぶのに使われている。漁港内には製氷機が稼働しているが、漁師や仲買人の需要に対して供給が不足している。そのため、コトヌー市内にある製氷業者が配達する大きな長方形のブロック状の氷も購入されている。配達車から降ろされた氷は角材のように荷車に積み上げられて、もしくは二、三本をたらいにのせて運ばれていく。

このように、漁港では日常的に物を運ぶ必要があり、クレーンやフォーク車といったものなしに、人手に頼って運搬作業がなされている。そこで、注意して見ていると、漁師でも仲買人でもなく物運びをしている人足が何人かいる。このような仕事をしている人を何と呼ぶのか分からないのだが、先刻読んでいた国木田独歩の「窮死」という短編に「立んぼう(立坊)」という言葉が出てきて、短編集の注解には[坂などに立っていて、臨時に、通りかかった荷車のあと押しなどをして生活している人。]とある。デジタル大辞林にも、[明治から大正のころ、道端に立っていて、通りがかりの車の後押しをして駄賃をもらった人。]とある。

この漁港の立んぼうも、漁港の通路などに立っていて、荷物を運ぶような動きがあるところに近づいて、そこに手を差し伸べている。私には顔見知りの立んぼうが二人いて、二人とも筋骨隆々の漁師たちに負けず劣らずがたいが良い。ひとりは、コートジボワール人と自称する若者で明らかによそもの然としていて、もうひとりも口数が少なくスムーズな会話のできない浮いた存在である。国木田独歩の短編では、土方や立んぼうといった「下等な労働者」の様子と彼らの窮状さらにはある者は死に至るまでが描かれている。そのような仕事が、身体を資本にしながら身体を酷使する、不安定な雇用形態、本人が望む仕事でない、他人からも劣って評価される、などの理由で窮死する要因を孕んでいること、そのような職に就く人の立ち位置が既にもともと不安定で浮いていたりすることも描写されている。別に漁港の彼らを見ていて一見そのような悲壮感はない。彼らは窮死に描かれた土方や立んぼうとは違うのかもしれない。もしくはそれは私の観察の未熟さの所為かもしれないし、万全のセーフティーネットに慣れている者の想像力の欠如かもしれない。


運ぶ人たち:
一般に途上国では統計から漏れている経済活動が多くあり、これをインフォーマル・セクターなどと呼ぶらしい。コトヌーの街中でよく見かけるものには、雑貨の行商人、露天商、屋台、非登録のバイクタクシーなど数え切れず、むしろそちらが主流とも思われる。自分の生活とそういった経済活動の関わりについて少し思いを巡らしてみると、動く、運ぶ、という要素が含まれることが多い。鼻緒が切れたサンダルを修理しに靴屋がやってくる、職場で小腹が空いたときに食べたいお菓子を持ってくる、夕飯に使いたい玉ねぎを頭に載せて歩いている、レストランで食べているとCDを売りに隣にやってくる、信号で止まった車には玩具を売りにくる、(隊員は規則で禁止されているが)バイクタクシーで好きなところに乗り付けられる。日本よりずっと便利な気もする。町中の人が必死で、小売をしたり、お手伝いをしたり、物乞いをしたりするので、とにかく彼らは僕ら消費者のところにやってくる。

2012-04-24

Live 26/4 à Centre Culturel Américain Cotonou

出演:ドスー・セザールバンド
日時:4/26 19:00頃~
場所:コトヌーアメリカ文化センター
このバンドでの三度目のライブとなります。明後日ですが詳細不明。
Live: DOSSOU César bande
Date: 4 avril
Heure: après 19H00
Endroit: Centre Culturel Américain Cotonou
3ème concert de DOSSOU César bande!


追記:アメリカ文化センター主催の「ベナンの企業家たちとジャズの夕べ」なる招待制のイベントでした。prospérité=「繁栄」という言葉が何度も繰り返されていました。繁栄と発展のニュアンスの違いはなんだろう。
postface:C'était un évènement "LA SOIREE JAZZ & ENTREPRENEURIAT" pour les invités. Le mot "prospérité" était répété plusieurs fois. Qu'est-ce qui est différence entre 2 mots  prospérité et développement?

2012-04-12

2012年4月の近況報告

更新がまた開いてしまったので、ただの近況報告です。

1---フォン語学習サイト「フォン語ファン」を更新中
2---最近の手拍子
3---バイクのヘルメット義務化始まる

1---二月に開設したフォン語学習サイトの内容が少しずつ充実。ベナンの地名の由来や特殊な忌み詞など、言葉から見える文化や歴史がある。にもかかわらず閲覧者がほぼいないとは。嬉しい沈黙。

2---最近始めた手拍子。/++-+/+-+-/--+-/--+-/+---/+---/ (/は小節線、+は叩くところ、-は休符) とあるお葬式にて、若者たちが盛り上がって手拍子していたものを採譜。歩きながらの暇つぶしには手拍子でしょう。

3---2012/4/1よりバイク利用者のヘルメット着用を義務付ける法律が施行された。その日の朝、あるラジオ局の放送で、(ベナン最大の)国立競技場にて2000個のヘルメットを無料配布するとの告知があり、騙された多くのライダーが殺到した。コトヌー市内において、いまだ着用者は1/3にも達していないようだ。

123--- 道すがら モニター前でも 拍子抜け 

2012-02-24

フォン語学習サイトをはじめました

ベナン南部で話されている言葉、フォン語の学習をするサイトを作り始めました。
 ここでいう学習サイトは、既に語学に通じた人が学習者に対して提供するサービスではなく、ただ自分の学習したことをノートにまとめるようにサイトに掲載するだけのものです。だけれど、授業の内容をしっかりと書き漏らさず、かつ分かり易くノートにまとめる人は、他の学生からよほど重宝されると聞いているから、こんな個人的な記録も意外と他人の役に立ったらいい。といっても、この単位は不人気で履修者が少ない、見たがる人がどれほどいるだろうか。そして今後10年後も20年後も、おそらく日本人フォン語履修者はそれほど多くないだろう。
 私自身の実際の学習環境では、フランス語によるフォン語の理解をしている。使用している辞書はフランス語・フォン語であり、教わっている先生というか友達とはフランス語で説明してもらっている。それを日本語に訳すことで、日本語によるフォン語学習ができるはず、というつもりです。
できれば、固有名詞たちには、写真をつけていきたい、食べ物にも写真や調理法までつけられたら、などと妄想してますが、得意の三日坊主にならぬようにしたい。副産物として、言葉から見えてくるちょっとした発見をちりばめたい。

ヴードゥー教、ダンス、ポリリズム、仮面、料理、商売、布教、研究、交遊、恋愛、はずみ、運命、協力、避難、趣味、暇つぶし

あなたも何かしらの理由でフォン語が必要になるかもしれない!

このブログ右側にリンクがあります。

2012-02-08

Live 11/2 à YES PAPA cotonou

再びライブ告知です。
先週2/4にベナン・フランス会館で演奏したメンバーで再び登場します。
場所はエトワールルージュ広場のすぐ近くにあるライブハウス"YES PAPA"というお店です。
実はここは今回のバンドの練習拠点でもあった場所で、個人的にはリラックスして演奏できるかな、と。つまりその分、ぶっとばせるかなと目論んでいるのですが。

Live: DOSSOU César bande
Date: 11 février
Heure: après 21H00
Endroit: YES PAPA (à côté de Place d'étoile rouge à la direction de Sikecodji)
Le même groupe qui a joué à l'Institut français samedi dernier va rejouer ce samedi.Dans l'atmosphère plus familière, on va jouer notre musique plus directement aux spectateurs.

ライブハウスの情報が以下で確認できます。
Site "YES PAPA"

Concert 4/2 à l'Institut Français du Bénin 映像

告知どおりベナン・フランス会館にて2/4にコンサートを行ってきました。
来てくださった皆様ありがとうございました。来れなかったけど応援してくれた方たちもありがとうございました。

3000FCFAという料金で来れる人・来れない人の存在が、自分の出演するコンサートであらためて露呈してみて、今後の自分の音を出す向きについて、考えます。

動画1:1曲目、"Fleuve l'ouemé(ウエメー川)"
動画2:3曲目、"Masavo"
せっかく元々は高画質動画だったのに、できるだけ容量を小さくしたため画質が低いです。
音は、自分の足元にて会議用ICレコーダーで録音したものです。

2012-01-22

Concert 4/2 à l'Institut Français du Bénin

ライブの告知です。
 2/4土曜日(タイトルにフランス語で4/2と表記してややこしくなりました。。)にInstitut Français du Bénin(ベナン・フランス会館?)で行われるコンサートに出演する予定です。ピアニストDOSSOU Césarが率いる音楽バンドです。
 楽器の種類としては、ピアノ/歌、コーラス、ドラム、打楽器、ベース、が基本編成ですが、ベースは二人いて、私はコンサートの前半と後半に演奏して、もう一人は中盤に演奏することになっています。またゲストとして、ギター、親指ピアノ、アルトサックスも一部の曲に出演予定です。
 曲目はピアニストの作曲によるものが大半で、他にはベナンのスタンダードポップ、ジャズのピアノトリオもの、クラシックのアレンジもの、も少数含んでいます。曲想は、土着、ジャズ、ゴスペル、ポップ、ディスコ、サルサ、ジャズ、クラシック、ポリリズム、などかなり雑多なものです。演奏者も、ピアニストと昔から演奏している国内の仲間に加え、国外の日本人、コートジボワール人、ベルギー人などが混ざっているので、より開けた雰囲気になりそうです。その分、色々な人に楽しんでもらえるかと思います。

 あと、料金は2000FCFA程度だと思われ、開演時間は20:30頃ではないかと思われます。現在フランス会館のホームページhttp://www.ccfcotonou.net/が工事中なので、インターネットではプログラムが確認できないようです。

 では、お待ちしています。といってもベナン国外で読んでくれている人は来れる可能性がないので、そのうち写真、できれば音源、回線が許せば動画を追記したいと思います。

Invitation à notre concert, "RETOUR DU JAZZ"
4 février à partir de 20H30
Institut français
Billet: 3000FCFA
Je vais jouer la musique comme un bassiste avec des musicians béninois.
Mélange de musique tradi et moderne.

2012-01-13

みかけしな [私たちの言葉]


 最近コトヌー市内で目立っていた広告シリーズ。右下にはBénin-Suisse30 ans(ベナン-スイス30年)と書かれており、スイスによるベナンへの援助協力が始まって30年を記念して活動の成果らしきものを宣伝している。左下にはフランス語で「私たちは読み書きを習いました、私たちは私たちの言葉を書くことも読むこともできます、私たちはそれを誇りに思います。」と書いてあります。
 この広告を目にしたとき、学校に行かない子供の就学率を上げるとか、児童のフランス語の識字率向上のための活動が行われたのかと最初思ったのだが、写真に写っている子供たちの後ろの黒板を見ると良く見たら、どうやら違うよう。Kodjo gossin Porto N...(コジョはポルトノヴォの出身です。)とか、1=dokpo, 2=wè, 3=atonとか、フォン語の単語が書かれている。
 元来文字の無い言語ということで、ベナンでフォン語の読み書きをする人は多くないと認識している。そんな言語の識字をスイスの援助でどんな風に行っているのか気になる。スイス政府のサイトで主要な援助内容の一覧を見たが、子供の現地語教育については情報が見つからなかった。
 この広告のシリーズでは、記憶が正しければ、同じような文体で「私は漁師です。私はベナンの人々を賄っています。私はそれを誇りに思います。」というのもある。この場合は、一般的に社会的にも経済的にも地位の低い漁師を応援して自信を持たせるような方向性の活動が行われたのかなと想像されます。けれど、この識字教育に関しては、「言葉は話せるだけでなく読み書きできる方が優れている」という前提を受け入れて、更にそれに続く発展に価値があると同調していいのか、と考えさせる。

追記01/02/2012:
同じベナンの協力隊の仲間で現地語識字教育に関わっている隊員がいたので、話を聞いてみた。彼女が関わっている識字教室のクラスは大人の女性が対象だそうで、写真のような子供たちのクラスはないそうだ。大人が学ぶということだから、子供と違い何かしらの学習の動機か実用性があるのではないかという話になり、確かな情報ではないけれど宗教的な理由が大きいのではないかと想像された。前にブログでも紹介したように、現地語で書かれた書籍というのはあまりないが、聖書は現地語に翻訳されたものがある。それを読みたいというのが、現地語の読み書きを習う強い動機になるのではないか。

2011-12-30

みかけしな [ANIME]

コトヌーではよく露店で映画のDVDを売っている。いわゆる海賊版DVDというもの。何故か、包装材は全て一辺倒で15cm×25cmくらいの厚紙がカラープリントされて透明なプラスチックカバーに入っている。作りが同じということは、海賊版といえども、どこかの大手団体が一手に製造しているのだろうか?
 それにしても、コトヌーの店頭で正規版輸入CDを入手することはほぼ不可能だと思う。そういう店は存在しないに等しい。私は一軒だけ正規輸入CD店を知っていてたまに購入しているが、近いうちにテナントビルの取り壊しによってその店も閉店することになっている。そしてなにより、正規版は高すぎる。月収4万FCFA程度の人がざらにいる中で、CD一枚2万FCFAとは。実際には私を含めてそれを購買可能な人たちも存在するのだけれど。コトヌーにいると、自分のそういった立場というのをしばしば考えさせられる。まあどちらにしろ今はネットで音楽を購入する趨勢だから、店頭販売のCD店がコトヌーにできることはないのかもしれない。(と言いつつも、ベナンのネット回線の現状からすると現時点ではダウンロード購入もかなり苦しいのだが。)
 ところで、露店にハリウッド映画や名の知れた音楽アルバムなどのコピーが置いてある場合は、明らかに著作権の問題のある海賊版だと判断できる。しかし、ベナンのローカル音楽CDやVCD、ノリウッド映画や西アフリカ圏のテレビドラマっぽいDVDなど、果たしてそれが正規版なのか海賊版なのか勝手な編集版なのか私には見分けることができない。正規版らしく高い値段がついているものでも、普通紙と家庭用プリンター程度の画質で印刷されたパッケージなので、先進国の製品に慣れている自分には海賊版に見える。
 映画DVDとして日本のアニメもたまに見かける。「キャプテン翼」、「ドラゴンボール」、「ナルト」など。おそらく、いったんフランスで成功した作品がコピーされて出回っているのだろう。考えてみれば、フランス語吹き替えやフランス語字幕で映画を見るということは、フランスを経由しないと映画を見れないということなのか。例えば、フランス本国で「ナルト」が流行って「ワンピース」が流行らないとすると、ベナンにはナルトしか入ってこないことになりそうだ。(実際にベナンでは「ワンピース」は流行ってなさそうだが、フランスではどうなのだろう。)
 正規版を見た人はほぼ0に近く、元々の漫画という形状に触れたことのある人も限りなく0に近いと思うが、NARUTOはけっこう好かれているっぽい。

2011-12-13

みかけしな [コトヌーミシュラン]


ミシュランくんのコレクションするにはコトヌーはいいとこだと思われます。

2011-11-26

みかけしな [モスケ・カダフィ]

平日に漁港で活動していてお腹が減った時は、漁港の裏にある「カフェテリア」で食事をとることが多い。ここコトヌーで呼ばれるcafeteria(カフェテリア)とは、コーヒー(カフェ)とスパゲッティ、卵焼き、あとヨーグルトを提供する露店のことである。このカフェテリアはコトヌーの街に溢れていて、その大半が同じような外観である。木造で建てられた一部屋のキッチン、キッチンを取り囲むように三方を囲む客席、壁や椅子は青もしくは稀に緑で塗られている。メニューに関しても例外は殆どないようで、スパゲティには常に「赤」と「白」がある。具はどちらも共通でサイコロ状の羊肉、玉ねぎのスライス、トウガラシが入っているが、白は塩と化学調味料(MAGGI)による味付けで、赤はそれにトマトソースが加わっている。値段は300FCFA(60円)。外観もメニューも値段も同じであれば、そこで働いている人も似通っているようで、殆どの店はギニア、ニジェール、マリ辺りの国の出身者によって運営されているようだ。であるから、彼らはイスラム教徒であり、店の近くでござをひいて祈りをしている所なども見かける。

 漁港の裏のカフェテリアのある区画はバラック街であり、人とバイクとリヤカーが通れるほどの細い道沿いに屋台や飲み屋や雑貨などが連なる100mほどの通りである。その通りの裏には舗装された道路があり、そこには高級レストラン、中級レストランなどが複数ある。この区画は更に道幅の広い舗装道路をするために整備対象になっていて、最近は立ち退きを迫る警告なども発せられている。先週には店々の壁に赤色のペンキでバツ印が描き殴られ、「壊す」「破壊する」などの単語も併記された。なぜ、ここに舗装道路を通さなくてはならないのかカフェテリアの面々に聞いてみると、「この先に大きなホテルが建設中で、そのホテルのために車両が通れるようにするためだよ。」とのこと。確かに立派なホテルが出来上がりつつあるが、「にしても、なぜ?」というような質問の答えを並べると、「あれはヤイボニ(大統領)のホテルなんだよ」、「カダフィとオマールボンゴが援助してるんだよ」、「最近バラック街の整備はコトヌー市が積極的に進めているんだ」などとのこと。どうやらホテル側には、何がしか利権がありそうだ。
 そういうわけで、利用者の一人としてその区画の行く末が気にかかって、壊される前に、と高級レストラン(こちらは値段4000FCFAほど)に一度食事しにいったり、カフェテリアにも毎日のように足を運んでいる日々。昨日も昼頃に赤スパゲティを食べていたら、店主がバイクタクシーを店前まで呼びつけてこれから出かける様子。バイクタクシーに行き先を告げる彼の言葉を聞いていたら、「モスケ・カダフィまで」と。思わず、店で働いている知り合いに「モスケ・カダフィってあのカダフィの?」と聞いたら、彼(リビア)の援助で建てられた大きなモスケだとのこと。彼の死の報道に触れて、何の前知識もなかった私は、この大ニュースに興奮している人たちの反応に残念だという気持ちも少なからず含まれていることに、なんとなく気づいた。なんでか話を聞いてみると、「彼(リビア)はアフリカ諸国に今までたくさんの援助をしてきてくれたから、」だと。ベナンについて今まで聞いたところでは、そのモスケ、アラブ・イスラム文化学校、舗装道路などに援助してきたらしい。モスケと学校に関してはイスラム教徒しか受益のできない質のものだが、舗装道路というのはかなり大きなインパクトがあるのではないかと思う。舗装道路が通るというのは今の日本でいえば高速道路や新幹線が通るという感じか。
 いったいどれほどの援助があったのか全体像や、今回のリビアの報道を巡っての真偽など、知りたいですが、真実を知るのって労力が必要で疲れるものですね。ネットで下記ブログを読んでたら、「独裁者が倒されて民衆が歓喜する」みたいな定番通りの映像を流しておけば、受け取る側は知的負担なくそれを事実として受け入れる、というようなことが書いてあった。
そうだよなあ、ニュース見るのも楽なのがいいよなあ。見て、ふむふむ納得、くらいが精神衛生上いいし。ニュースってのも、音楽をサプリメントとして聴くのと同じような効用があるのだろうか、などと考えはじめたり。とりあえず、暑い中モスケを見に行くくらいの負担は僕にも負えます。

(写真後掲)

2011-11-22

まじないの木

コトヌーで何か書籍を購入したい場合、市内にある三つの大型書店に出向いて探すことができる。その内の一店はノートルダム書店という名前で、ノートルダム教会というカトリックの教会の隣にある。売り場は1階と2階があるが、特徴としては二階売り場の半分ほどは宗教コーナーで占められていること。カトリック教会のとなりにあってその教会と同じ名前をつけていることからも、教会と書店にはおそらく強い繋がりがあるのだろう。
 先日11/18から11/20にベナンを訪問したローマ教皇は、このノートルダム教会を訪れて演説を行ったそうです。今回の教皇ベネディクト16世のベナン訪問により、ベナンは(いや、コトヌーの状況しか分からない身分としてはコトヌーでは)大騒ぎでした。訪問二週間前あたりから、普段は外国資本の広告が貼られている大型看板に教皇からのメッセージが書いてあるポスターが貼られ、教皇を歓迎するビラも至る所の壁や柱に貼られだしました。教皇の訪問当日は見物客や支持者で一部の沿道が賑わっていて、交通規制も行われました。自分自身は最近暑くなってきているために炎天下の見学はせず、ラジオやテレビで始終流れている各所での教皇の演説が聞こえてきた程度でした。ベネディクト教皇は多言語に精通しているらしく、英語、フランス語、教会ラテン語?など複数の言語で演説していたのが印象的でした。フォン語の台詞を加えた演説もあったとか。
 そう、ここにはフォン語の聖書というものが存在している。キリスト教徒は世界中にたくさんいて様々な言語に翻訳された聖書が存在するのは想像に難くないけれど、ここコトヌーで生活してフォン語という言語に触れてみると、フォン語は文字のない言語だという点を思い出す。日常的にフォン語は読み書きされるということがなく、アルファベットによるフォン語の表記方法が確立しているものの、かなり少数の人しか習得していないのが現状。元来、文字表記のない言語であの長文を翻訳して書物にするというのは、かなりの膨大かつ困難な作業だろうと思う。そういえば、以前このブログで書いたフォン語フランス語辞書はベナンに長く住む宣教師が主著者だった。布教・宗教の動機というのは凄い力があるんだろう、と感じる。
 そして東京の街角にあってコトヌーの街角にない人種は、本を読む人。街角や移動車内で本、雑誌、新聞の類を趣味で読んでいる人は少ない。それは、一定数のベナン人は文字になるフランス語を母語のように習得している訳ではないのが理由の一つだろう。かといってフォン語は文字表記しない言語でありフォン語で書かれた書籍というのは、一般的にはそれこそ聖書くらいなものだろう。しかしながら、大型書店の一つバファロー書店ではフォン語による民話の絵本などが売られていて面白い。学校で現地語教育を取り入れることを考えている人たちも一部にいると聞いた。
 親が子供に教育を受けさせたいという動機も強いものがあるのは日本でも耳にしていたが、大型書店では教科書の売り場が広く、おそらく保護者であろう女性が購入しているのを多く見る。大型書店以外に書籍を扱う場所としては、街中や道端で教科書のみを売っている書店が多く見られる。私も、家の近くの教科書店で、ベナンの学校で教材として使われているベナン人著者による小説"L'arbre fétiche"(まじないの木)を買って読みました。何故かこの本はカメルーンの出版社によって出版されていて、ますますベナンにとって本と文字はあまり縁がないのかと感じます。
 ベナンに来たからベナンの本を読みたいという要望は、本という形を求める時点で自分の出自の文化とこちらの文化の差異を感じさせます。これからもそれは変化しないのか、発展・成長とかいうことを考える時にはどうしても先進国・発展途上国という物差しをあてることになりがちですが、そこを離れて考えてみたい。となると、やはり私はそんなことを論ずる本を読むのか、それとも、、、

2011-11-15

みかけしな [挨拶回し]

ある同僚との朝の挨拶(フォン語と一部ミナ語を含む)

同僚「よく寝れた?」
私「うん、気持ちよく目覚めたよ。あなたは?」
同僚「うん、私も元気だよ。」
同僚「昨日はどうも」
私「こちらこそ」
同僚「奥さんは元気?」
私「元気だよ。」
同僚「子供たちは?」
私「うん、元気だよ。」
同僚「実家は大丈夫?」
私「うん、大丈夫大丈夫。」

 やっとここからフリートーク開始。この同僚とは上記と寸分たがわぬ挨拶をほぼ毎日繰り返しています。こちらでは、挨拶を必要不可欠の習慣としていて、私自身も一日中よく挨拶しています。挨拶の内容の特徴として、相手が平静な状態にあるかを確認する質問形式になっている点に気付きます。相手自身の状態はもちろん、相手の身内も含めて質問することが多いです。上の挨拶には含まれていませんが、健康はどうか、商売はどうか、という質問が加えられることもよくあります。それを確認してからフリートークを始めるのが一種の礼儀なのではないかと私は思っています。日本で喪中かどうかを気にするような感覚なのではないかと。
 ところで、私のことを知っている人はいつ結婚して子供ができたのかと思われるかもしれませんが、そういう訳ではないのです。半分は嘘をついているけれども、日本人の感覚から離れれば全部嘘ではないと私は思う。
 まず奥さんに関して:ベナンでは日本に比べて平均結婚年齢が低く、一人の成人・社会人としては妻帯していることが非常に重要だと考えられているようです。また届出を出していなくても事実婚という形もあるので、私のような二十代後半の男性に対して奥さん(彼女)のことを質問するのは自然な流れだと思われる。
 子供たちに関して:知り合いのベナン人や西アフリカの人と話していると、家族という言葉で括られる共同体の範囲は自分の思い浮かべる家族よりも大きい場合がよくあります。血縁・親戚のつながりを重要視して大切にしていること、一夫多妻で家族構成が複雑にな場合もあることなども影響しているかもしれません。たとえば兄弟という言葉は、親しい親戚の子供たちを呼ぶ時にも使っているのを耳にします。
 とゆうわけで、奥さんも子供もいないけれど、半分は本心で答えていることになるかと。

2011-10-13

みかけしな [Français-Fongbe辞書]

とうとう、折り良く、フォン語辞典を見つけました。
ベナン国に来て一年と三ヶ月が過ぎ、コトヌーに留まれるのもあと九ヶ月になりました。日々、協力隊としての活動や音楽活動などこの町で楽しく過ごさせてもらっていますが、帰るまでの月日を指折り数えながら、既に後悔している、というか帰ったら後悔するだろう、と悩んでいることが、この町の二大言語の一つフォン語との付き合い方。もう一方の主要言語フランス語については、活動のため交流のため自分のため、習得をしようと思ってきましたが、フォン語に関しては非常にお粗末と言われて当然な状況です。悩みとは、フォン語を話せない自分のお粗末な状態のことではなくて、この言葉を粗末にしてきた自分に対する疑問です。

この町で生活する私にとってのフランス語とフォン語の必要性を考える。
活動のためという点ではどちらかがより有用だと簡単に判断できない。
交流のためという点では、コトヌーにいるベナン人の多数はフランス語とフォン語の両方を話す。それ以外にフランス語で話せるのは北部などフォン語圏外から来たベナン人や外国人で、逆にフォン語でのみ話せるのは、初等教育を受けていないフォン語圏の人達。
自分のため、を考えると、フランス語の本が読める、映画が観られる、ニュースから情報が得られる、フランス語圏の人と話せる、というような将来的なことも含めた受益が多くあるような気がしてくる。フォン語の本・映画はほとんどない、フォン語圏の文化、特に音楽に対しては興味もあるが、フォン語を今後使う機会などないような気もする。
また学習環境の違いとして、フランス語に比べると、フォン語には外国人学習者用の辞書、文法書などが充実していないという状況があります。今回、コトヌーの書店にて初めてフランス語-フォン語辞書を見つけた次第です。
まとめると、今まで、二つの言葉・文化の、話しての数の違い、質の違い、それに対する優劣判断、実用度、学習環境、等を並べて優先順位を決めようとした結果、フランス語ばっかりやっていた訳です。

しかし、その浅薄と疑われる価値判断に気分も悪くなり、フォン語への未練を引きずっており、フォン語辞典を書店で見つけた時は、よし今ここからがフォン語学習の本格開始だ。とベナンに来て数度目の決意をしました。

2011-09-22

みかけしな [イルカ号とサカナ号]


 
 私はコトヌー零細漁港に青年海外協力隊の統計という職種で配属されているので、元々は水産統計に関連する活動からスタートしたのですが、最近は漁港の広報に関わるような活動に主軸を移しています。例を挙げると、お客さんのための簡易案内板やパンフレットの作製、そして今やろうと意気込んでいることが、ウェブサイトの立ち上げ。
 そんなわけで必要だと思っているのが、漁港の全体像を見渡せるような写真。アイディアとしては、見晴らしの良い海側から写真を撮るか、近くの高い建造物に登って写真を撮る方法が考えられます。実はすぐ近くに格好の灯台があるのですが、軍事関連の施設らしく写真撮影の許可は降りないようです。しようがないので、漁港のすぐ隣に海に向かって伸びている大型船舶用の埠頭に入らせてもらい、写真を撮ってたのが上の写真です。漁港全体がすっかりと入ってなるべく近い所から撮影したいのですが、そうするとDAUPHIN(イルカ)号が自分が主役だと言わんばかりに鎮座礁しているのです。

 広報の活動をしようと考え始めてから、やはり景観による清潔感のイメージなどはお客さんを捕まえるのに大事かなと思うようになりました。一方で、現在の乱雑で時に異臭がする漁港にエネルギーを感じるような気がして、どっちが素敵なことか分からないとも考えています。余談ですが、今週はコトヌーのフランス文化センターで催されているヨーロッパ映画週間に毎日通ってヨーロッパ映画を観ているのですが、暑くて雑然としたコトヌーに一年以上住んでいるからか分からないけれど、特に北のほうオランダとデンマークの映画に写る街の景色を観ていてその整然さに違和感と落ち着かなさを感じました。
 漁港の話に戻ると、漁港には小さなポイステされたごみから大きなコンテナなどの粗大ごみ、それから生ごみなどが散らかっていて、景観や衛生的によくないと感じます。それで大きなゴミは一回片付けてしまえばそれでお終いなので機会を見つけて撤去してほしいと思っています。さっきのイルカ号も漁港前に鎮座礁してからもう何年も経ちます。そして最近漁港に入港してきてかれこれ一ヶ月ほど居座っている船があります。
SAKANA号です。どちらの船も小耳に挟んだところによれば日本がベナン政府に供与した船だそうです。廃船になるのは様々事情があると思いますが、漁港に捨てっぱなしはよしてほしいです。

2011-09-02

みかけしな [約1m×1m×2mちょい箱]






 約1m×1m×2mちょいの箱形店舗。コトヌー市内の道沿いに点在。 箱の中の人が雑貨やテレフォンカードを販売している。 ベナンでは携帯電話はプリペイド式のため、数百FCFAから数千FCFA単位で頻繁に通話料のチャージが必要であり、写真下のようにテレフォンカードに特化した店も見られる。ベナンに来たときからたまに買いに来ていたこの店、閉めてしまった。彼は今はなにをしているんだろう。
 基本的に窓は正面左右の三方に開いており、どこからでも買えるような気がしないでもない。 屋根が後ろに少しだけ傾いていることで、機能性を持たせつつ固すぎない印象を与えているよう。

2011-07-15

ガボン旅行記2

 国立公園でのサファリの後、次にLambaréné(ランバレネ)というリーブルビルから150Kmほど離れた町へ向かいました。八割がた道路はよく舗装されていましたが、その分スピードが出しやすく、対向車がいる状態で(たまに穴を避けながら=対向車線にはみだしながら)120Km/hの高速を出されると生きた心地がしません。本当に命を預けて観念するしかない。
 このランバレネという町に、あの有名な?Albert Schweitzer(アルベルト・シュバイツァー)博士が設立した病院があります。今でも現役で稼動する病院であり、そこに併設して昔の病院や病棟などが一般公開されています。私自身は伝記や著作や評論も読んだことがなく、どんな評価をされている人なのか知りません。
 そのランバレネを観た後は、また首都のリーブルビルに戻り飲み食いしてベナンへ翌日帰りました。最後の夕飯はある程度高級なレストランに行き、gibier(ジビエ)を食しました。レストランのメニューをめくると、ジビエというコーナーがあって、そこにはセンザンコウ、ニシキヘビ、サル、ワニ、、、などと並んでいます。ジビエという言葉が指すのは野生動物のようで、これはガボンでは名物とされているらしい。せっかくなのでセンザンコウ、ニシキヘビを頂きました。センザンコウは特に変わった味もせず、ニシキヘビは美味しいとは思えなかった。非合法的にはゴリラや象なども食べることができるそうで、野生動物が豊かにいるとういうのはやはり本当なんでしょう。
 ベナンに帰り、ジビエを食べたことをベナンの人に話しました。そこで分かったのは、ベナン南部では少なくとも、ニシキヘビを食べたということは言ってはいけないということです。ニシキヘビは宗教的に神聖な動物として扱われ場合があり、よもやその身を食べたなど御法度です。うっかりこのことを話した私は、ある知人から「Gabonais(ガボン人)!」と呼ばれるようになりました。もっと信心深い人に話していたら、大事になっていたかも。。。

(後で写真載せます)

2011-06-28

ガボン旅行記

 6/13より6/20までの一週間中央アフリカのガボンへと物見して来ました。 して来ました、というのはコトヌーに戻って来ました、ということで、 この町に着てから一年近く経つ今、わが住まいに帰ってきて安心する気持ちです。

コトヌーから離陸して海をひょいと渡ればガボンの首都Libreville(リーブルビル)に到着。
一時間半の空旅。
リーブルビルは海に面する街。

ガボン産のビール。Régab

 リーブルビルは海辺へのアクセスが非常に良いところ。 海岸から陸側に勾配のある地形なので、ある程度街中に入っても海が建物の隙間から見えるし、 海岸沿いに主要な幹線道路が走って、もうきっとここに海亀は来ないだろうけど、街の人にとっては海に近づきやすい。

 一般に観光客にとってのガボンの主たる魅力というのは、大自然。森林と野生動物。野生動物に関しては、ゴリラやゾウ、チンパンジーなどが見られるということで有名だそうです。私もリーブルビルにの対岸に位置するポンガラ国立公園内のGnonie(ニョニエ)という所にて一泊二日のサファリをしてきました。どうやらなかなか野生動物に遭遇できないという評判のツアーみたいです。確かにそうでした。

でもマルミミゾウの親子には出会えました。もちろんカメラはズームができたり写真は引き伸ばせるものですが、肉眼で見える現実はこんなところでした。

つづく

2011-04-15

選挙せん


候補は11人でした

 
[左]みんなの候補ヤイボニ   [右]ひとりひとりに職を 全ての人の連帯  
 
[左]ベナンを前進させるために   [右]今、進もう!
 
[左]100万(FCFA)までの予算を女性組合へ 13o億5000万(FCFA)を 農村の女性へ
[右]25万の雇用を若者に 五年間で2つの大学を
 
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