Ouidahでの滞在中は月曜から金曜まで全日、土曜は半ドン(?)でフランス語研修を受けていました。朝の授業は8:30から12:30、昼休みを2...zzz...時間挟んで2:30から5:50までの午後の授業。その間に中間テストと最終テスト、そして最終日の今日7/21は全員が10分スピーチを発表して終わり。
都合で途中先生が変わったのですが、どちらも魅力的な先生で得した気分です。最初の先生はフランス人の女性で語学を通して奴隷貿易やフランスとアフリカの関係のことなどを冷静に語ってくれました。二人の先生は地元ウィダ出身の男性で、ベナンの伝統的な習慣や宗教について熱く語ってくれました。、、、といっても半分も理解できませんでした、、、、(お菓子を食べて過ぎて美味しいお夕飯を残してしまう気分です。)目先の面白いこと楽しいことにうつつを抜かして。
日本での2か月の語学訓練でフランス語の初心者から初級者に成長した私でしたが、この研修中に中級者への厚い壁を目のあたりにして、脆い箇所はないものか、、壁を撫でたりコツコツしたりしていたような状況でした。でもがっぷり四つに組まないとダメだ。(ほんとは初めから分かってた。。)
昼休みが長いのはシエスタ(昼寝)を取る習慣があるためだと思いますが、この時期のベナン南部は小雨季で気温も低く過ごしやすいので、僕は寝ないで楽器を吹いたり手紙を書いたりしていました。その手紙、というのは、研修を受け入れてくださった小学校の生徒との文通です。研修が始まって間もない頃に年長の生徒数十人との交流会があったり、授業の合間に遊びに来る子たちもいたりで、知り合った子がしばしば!手紙をくれました。ベナンやウィダについて学校で習ったことを書いてくれたり、なんか頂戴とか、日本に行きたいとか、別れの言葉とか。手紙を読むのも書くのもいい勉強にもなるし、子供たちはこちらが言葉が分からなくても辛抱強く話しかけてくるからいい先生です。またウィダに来て再会することを約束してお別れしてきました。
交流会で子供たちが歌ってくれたて象に残った曲が一つありました。
歌詞(lyrics)
Au clair de la lune, mon ami Pierrot
Prête-moi ta plume, pour écrire un mot
Ma chandelle est morte, je n'ai plus de feu
Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu
メロディ(melody)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
レレレレラ-ラ-/レドシラソ---(re,re,re,re,la-,la-/re,do,si,la,so---)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
先生達の説明によればフランス語圏(francophone)の子供はみんな知っている歌だそうです。僕もメロディは日本で何か練習曲のようなもので聞き知っていました。フランス民謡らしい。
印象的と言ったのは、馴染みやすいメロディでということと、二行目の歌詞が理由です。直訳すると「一つ言葉を書くために、君のペンを貸してくれ」なのですが、ウィダでの三週間でしょっちゅう子供から言われたのが、「ペンを頂戴。(Donne-moi ta vic.)」という頼みです。子供たちにとって外国人/白人はお金持ちで色々な物を持っている人たちなので、ねだって貰っちゃおうということです。日本でもたまに友達のペンを取ってしまったりとかあるけれど、自分よりお金持ちに貰おうという発想はあまり一般的でないと思う。ウィダで過ごしてみて、日本とベナンではお金持ちと貧乏人の存在やそれに対する考え方(納得の仕方)というのが違うようだと感じた。
ウィダでは子供達と触れ合う機会がとても多くて、仕事とは関係ないけれど、ベナンを知っていくのに実りの多い滞在だったと思います。