2010-12-29

2010年活動報告おまけ

コトヌーの空、毎日の食べ物や近所の風景、部屋や職場などの写真を並べました。
2010年どうやら無事に終われそうで、最近はよく"Dieu merci"と言ってます。
日本語だと「神様のおかげ」「ありがたや」って感じかな。ベナン人の知り合いでこれが口癖の人がいるのでうつりました。
音楽は、シューマンの外国?異国?とかいうタイトルの曲です。

photos: les ciels de cotonou, repas tous les jours, ma pièce, mon bureau
musique: Pay l'étranger, par Shumann

2010-11-13

家と職場とCCFと

 基本的に平日は家から職場に通っては帰ってを繰り返していますが、帰り道にはCCF(Centre Culturel Français)フランス文化センターに週に2,3回寄っていきます。このコトヌーのCCFがどういうものかというと、図書館メディア館があり、フランス語、現地語、音楽などの授業を受けることができる教室があり、カフェがあり、展示スペースがあり、映画・コンサート・演劇などが上映・上演される舞台がある、フランス政府が運営する文化施設です。同名の施設はアフリカフランス語圏中にあるようだし、似たような内容の施設も世界中にあるようです。他の国ってのは似たようなことをやってるんだろうか。
 週に2,3度寄るというのは、フランス語の授業を受けるためで、平日2回夜2時間10人弱のクラスに入っています。受講料は一般のベナン人の払える値段でもないので、生徒はみな外国人。今はアメリカ人、イラン人、オランダ人、ベネズエラ人、レバノン人、日本人となかなかディスカッションすると会話の弾むメンバーであります。先生はベナン人。ベナン人の一般的傾向として、いつでも携帯電話に出ます。先生は電話があると、授業を放り出して外で話しこんでます。でもまあ、そんなものです。それが休憩時間だ、と思っていればいいのかもしれないですね。
 授業の前には、図書館で予習をしたり本を読んだりもしています。そういえば日本の図書館と違う点は漫画が充実しているということでした。置いてあるのはフランス産の漫画ですが、フランスはけっこう漫画が盛んな国らしいので、蔵書も多いです。日本でも人気のあるらしいメビウスMoebiusの漫画が置いてあったので、よく読んでます。それと初のフランス語文学読本としてカミュの「異邦人」を借りて読みました。プチフランス語学科一年生です。カミュは次は「ペスト」を読みたいなと思うが、少し長い。少し長いと、読む速度よりも忘却の速度が上回るため、読んでもさっぱり分からない。でも以前友人が強く勧めてくれたから是非読みたい。
 CCFは、そういった文化的なサービスを提供してくれる、個人的にひどくありがたく感じている場所です。更に幸運だったのは、ここで音楽仲間も見つけられたこと。そこでピアノを教えているベナン人の先生と息投合して、しばしば二人で曲を合わせたりしている。そのおかげでベースを買い、ベースアンプを買い、ベースを担いで移動している。外国人なうえに楽器など背負っていると、目立ち過ぎて最初は気になるが、その内どうでもよくなる。いまに人前で演奏しようと二人で話しながらも、自分的には実力不足の不安と焦りを隠せません。でもセッションして、彼も僕も、いい音が鳴ったら「いい音だったね」と一緒に楽しみながら共感できる。これは僕がベナンに来て、なかなか他人と共感することに困難を感じている中で、非常な安心感を与えてくれた気がする。
 これからは、更にDVDのレンタルなどしてフランス映画を色々と物色してみたり(ヌーベルヴァーグの映画いくつか観てみたいなあ)、映画やコンサートなどのイベントもどんどん顔を出したいなあと思う(近日中にサリフ・ケイタがやってくる!)。そこで話の合う友達もできたらなあ。(外人たくさんいるしな。)
 そしてそんな方向性は、いつも近くにいる近所や職場で一緒の人達の世界とはかすりもしない。家と職場とCCFと、いつもせわしなく行き来をしている。

2010-10-26

電球のはたらく姿

きのこ型炭火調理台数種

まもなく街路樹

2010-09-26

コトヌー零細漁港とその仕事

青年海外協力隊員としてコトヌー零細漁港に配属され1カ月が過ぎました。協力隊の数少ないノルマとして、任期2年間の間に5つの報告書を提出することが義務づけられています。その1号目は任国到着後3か月を目安に提出ということで、丁度今提出するところです。”活動地域及び配属先の概要”という題目で、以下のような所だと書いた次第です。

””活動地域であるコトヌー零細漁港は商業的中心地のひとつであるガンヒ地区と貨物船の発着する大規模なコトヌー商業港の間に位置する小さなエリアである。漁港の海側には水産物の水揚げのための桟橋、計量・卸売りのための半屋内施設、漁具・船外機の修理場、製氷・冷蔵施設、漁港事務所などが連なっており、これに面するように仲買人たちの作業場・保存設備と、この漁港に出入りする漁業者・仲買人が利用する雑貨店・青果店・屋台・美容室・祈祷所などがひしめきあっている。そのためこの漁港は水産物の流通拠点としてだけでなくそれを担う人たちの生活空間として機能している。コトヌー漁港の特徴として漁港を利用する漁業者にはベナン人以外にもガーナ人やトーゴ人も数多く、コトヌーの主用言語であるフォン語だけでなくミナ語・プラ語(ポポ語)・エベ語・英語などが使用されている。””

もちろんフランス語も話していますが、、
そんな所で私は漁港の統計担当部署に勤務することになったのです。

””私の所属するコトヌー零細漁港の統計担当部署は、漁港で水揚げ・卸売りが行われる際に計量担当者が記録した以下の項目データ;日付、漁船登録番号もしくは漁業者名、乗船人数、魚種、漁獲量を集計し漁港長および漁業局に報告する業務を担っている。私の着任以前は前任の協力隊員が上記のデータ集計のためのデータベースを作成し、当時の担当職員はデータ入力と月報の作成を行っていた。その後その職員が退職したことなどから現在この部署には所属する職員がいない。年内中に新規職員が配属される予定とのことである。また漁港には水産関連分野を専攻する大学や専門学校からの研修生が来ており、統計部署の空いているスペースが彼らの待機場所となっているため、隊員にとって役立つ情報収集の場ともなっている。””

ここに協力隊員の私がなんで呼ばれたかというと、

””前項冒頭に記述したことが担当部署の業務であり、現在この部署には協力隊員しかいないことから、おのずと以前まで職員が行っていた業務を同様に行うことが求められている。将来的には漁港職員がデータベースの利用と維持管理を行うことを想定して、それに向けたデータベースの作成も行っているが、データ収集項目の追加などに関しては漁業局および漁港職員の要請と了解を得て進めるべきである。ただし、現段階では同じ職場で働く漁港職員から現行の業務内容の改変や別業務の追加などといった要望は聞かれない。また漁業局の水産統計担当者が休暇中であるためまだ面会の機会がなく、統計データを活用する省庁側としてのこの部署に対する希望・要望の有無とその内容はまだ把握できていない。おそらく受け身の姿勢ではこの部署に対して差し迫った要請は発生しないであろう。であるから、この部署が関係しうる様々な立場の人のニーズを掘り起こしそれに統計担当部署としてできることを提案し協力しあっていくというのが協力隊員に求められていることだと考えている。””

考えているわけです。
これからの計画をちゃんと考えたか、と問われれば、

””着任から活動を開始するのにまず意識したことは前任者の業務を引き継ぐということである。前任者とその同僚が私の着任以前まで続けていた業務を継続することが配属先の喫緊の要望であり、私自身は漁港長および漁港職員に協力隊員として存在感を示し職場に受け入れてもらうことを望んでいたので、着任から今までの活動は順調な滑り出しだった。今後の活動として前項に書いたニーズの掘り起こしのために漁業局の水産統計担当者と接触する機会を持ち、意見・情報交換ができる関係を築くことが重要だと考えている。データ活用の実態と今後の活用の可能性を把握すること、それに伴うデータ収集項目と収集方法の再検討が必要である。また漁港内にある統計部署として漁港利用者に役立つような業務も模索していきたいと考えているので、漁港内での業務を引き続き継続しながら漁業者や仲買人とも接触をしていく。””

というところです。
報告書の文章はこんなようですが、そこであまりに漠然として書いてないことはたくさんあって、毎朝通勤のタクシーを捕まえるの振り返りながら30分くらい歩いたり、もういいやと漁港まで10Km歩きとおしたり、雨が降ったらタクシーがいないから通勤を遅らせたり、今日は魚が揚がらないから職員はベンチに寝転がっていて、たまに話しかけに行ってフォン語やプラ語をまぜこぜに教わって何も分からなかったり、しつこく部屋に遊びに来る子供を追い払ったり、休日なしに働いている職員を見て自分はどう休めばいいのか悩んだり、もう早く退勤したり、毎日一人で出勤日誌を書いたり、

社会経験とかいう得体のしれないものの経験がなく、協力隊というノルマがない立場にいる私ですが、
仕事に対する動機づけを強く持つこと(ヤルぞ!ガツガツ!カチッ!スマート!)
そんな義務感ではなく仕事をただの生活(習慣)とすること(そろそろ。まあまあ。のんびり。どっちでも。)
こんな二つのバランスを取ることが、ここでの仕事(生活)を二年間楽しむために必要だと思い始めた25歳。

2010-08-25

何から揃える

コトヌーの新居に入ってから2週間が経ちました。入居時点では家具や生活用品など一切何もなかったので、今も毎日少しずつ買い足している毎日です。大きな物で買った順番を見ると、

 入居日までに買ったもの:ミニギター、トーキングドラム、ござ、マットレス、雑巾
 第一週:モップ、バケツ、机、スポンジ、のこぎり、とんかち、洗剤、ラジオ
 第二週:現地語の教科書、ミント、スコップ、椅子、ベナンのCD
 これから買いたいもの:ベッドの本体、ちゃんとしたギター、CD、スピーカー

 お金の話をすると、僕が毎月貰えるのは5万円くらいです。5万円というのはこちらの通貨で約25万FCFAです。手取り25万円だと思って、1000FCFAなら1000円だと思って買うのが一つの考え方。
安い食事なら300FCFA(300円だと考える)くらいだし小さい机を作っても5000FCFA(5000円だと考える)だし、悪くない。
 1.ところが正規のCDの値段は11000FCFA。つまり11000円(と考える)!
 2.白人達のいるレストランや中華料理屋に行ったら5000FCFAはかかる。5000円(と考える)!
ここでどうするか。。。
 1.円に換算するとCD2700円だし買っちまえ、いやいやそんなことしてたら生活が、、、
 2.円に換算すると1000円で中華だよ、ベナン食の10倍も払ってられるか!
などと葛藤するわけです。

 買ったものの中で今のお気に入りはラジオです。コトヌーでは10近いFMラジオがキャッチできるみたいです。流行りの音楽を流してるラジオや、コトヌーのブイブイいわしてる若者向けラジオ?や、現地語ばかり喋っている放送、イスラム系の放送、BBC afriqueやRFI(Radio Francasi international)などのヨーロッパぽいラジオなどなど。面白くてチューナーをちょぼちょぼ動かして電波散策してます。
 
 そして今欲しいけれど手に入らないものが、調理用のガスです。ベナンではブタンガスの缶を自分で買ってきて、ガススタンドのようなところに行って自分で補充するシステムなのですが、ここ最近そのガス缶とガスが品切れ状態だそうで、コトヌーを探し回ってもなかなか見つからないのです。
早く自炊したいのですが、、、そのかわり色々と食べ歩く毎日なので、そのうち写真と一緒にコトヌーの美味を紹介したいと思います。

2010-08-14

Cotonouコトヌーでの生活を始めました

インターネットのない環境のため、しばらく更新できませんでした。

簡単な概況;
火曜日から職場のコトヌー漁港に配属にされて働いています。
同時に新居に入居して、日用品を買い揃えたり、虫対策をしています。

また近々更新いたします。

2010-08-02

Ouidahでお世話になった彼ら


Ousman(門番さん)
Nigerから来ているらしいけど、何で来たのか尋ねても分からない。
話しだすと、たくさんの地名を並べ出す。

ホテルと向かいのレストランの従業員たち
みんないつもやさしかった。写真はワル風。

真ん中Lionel君
手紙をたくさんやり取りした親友。



((写真なし))

Eric
彼と同じ布で同じデザインの服を作った。
まあ色々と問題あるけど、また会いたい奴。

2010-07-23

Vodoun(ヴードゥー教)の集会

 シャワーを浴びて足裏の泥を洗い流して一息ついたところ。サッカーワールドカップを仲間とサロンで観ていて、ポテトフライも食べ終わってシャワーでも浴びようかと部屋に戻りシャワールームに入ったら、窓からガラスコップを叩く音、タムタムの音女性の歌声が聞こえてきて、「んーどうしよう、多分あの奴隷通りに面した大きな中庭から聞こえてくるようだ、、どうせ見に行っても中には入れないだろうし、なぁ。や、でも用事もないし、どんなリズムなのか近くまで行って聴いてこよう。」と思って真っ暗な通りにに出て、音が発っせられる扉の前まで来て動画と音声を録画・録音し始める。たまに眩しいバイクが通り過ぎていくので、そそくさとその場を離れる。
 扉から少し離れた所につっ立っていると、2,3人の子供がやってきて「見たいんでしょ?」と声をかけてきて、扉を手間取りながら開けてくれて、その中庭に招き入れてくれる。左手前の扉から入った中庭の右奥の家の前に40人ほどの人たちが長い木のベンチに四角く腰かけ、また数人はその中で踊っている。その敷地の前でいつも果物を売っているお母さんが端っこに座っていて、ベンチに座るよう勧めてくれる。「写真はだめだよ。」。近くの子供が長さ30cmくらいの半分に割った一節分の竹を二本渡してくれた。四角の右手前に座る女性たちは皆同じようなものを持っていて、カンカンカン、、カンカンカン、、と一定の調子で叩く。それに歌っている。その歌は四角の中心で一人指揮をとる女性の歌いかけに応えるように続く。左手前には小さな鉦らしきものを速く叩く男性が二人、中くらいのタムタムを二本のバチで叩く少年が一人、大きなタムタムをL字型のバチで凄い勢いで叩く男性が一人。左手奥にはぎゅうぎゅうに集まって座る子供たち。中心から右手奥までは、リーダーらしき伝統衣装をまとった初老の男性を含めた数人の男性がそれぞれの椅子に座っている。
 女性、子供、男性が二人ずつ次々に出てきて順番に踊る。「踊らないと。」とさっきのお母さんに言われて私も前に進み出て、見よう見まねで手足を振ってみる。女性たちの叩く竹と男性たちの鳴らす打楽器が作り出すポリリズムが段々と身体に馴染んでくる気がちょっとした。曲は静に止まって雑談になったり、リーダーのお話になったりして、また思い出したように次の曲が始まりだす。ひょうたんで作った器が回って皆が硬貨を入れていく。鉦を叩いていた少年がリーダーに呼ばれて、ジンの瓶を持って地面に少し撒いてから、時計回りに注いで回る。指揮をとる女性が猿の真似するみたいに高い声を上げて、トランス状態になったようだ。そのうちその場を離れて部屋の中に入ってしまったと思ったら、数分後に鮮やかな色の衣装に着替えて、顔を派手に化粧して再登場。何かストーリーのある儀式なのかと思うが、みんなのやり取りはフォン語で、フランス語で隣の女性に尋ねてみたら「毎週日曜日の夜にやってるんだよ。」と教えてくれた。次の曲が始まり、また泥だらけになってしまった足を少し思い出して、「この曲が終わったら部屋に戻ろう。」
 違う世界に出会ったわくわくとすくみと。世界は一緒じゃないという豊さに対して感じる嬉しさと不安と。早めに切り上げてきて部屋で考えている自分の耳に、まだ外からの歌声と鳴り物が聞こえている。

2010-07-22

研修それから小学生との交流

 Ouidahでの滞在中は月曜から金曜まで全日、土曜は半ドン(?)でフランス語研修を受けていました。朝の授業は8:30から12:30、昼休みを2...zzz...時間挟んで2:30から5:50までの午後の授業。その間に中間テストと最終テスト、そして最終日の今日7/21は全員が10分スピーチを発表して終わり。
 都合で途中先生が変わったのですが、どちらも魅力的な先生で得した気分です。最初の先生はフランス人の女性で語学を通して奴隷貿易やフランスとアフリカの関係のことなどを冷静に語ってくれました。二人の先生は地元ウィダ出身の男性で、ベナンの伝統的な習慣や宗教について熱く語ってくれました。、、、といっても半分も理解できませんでした、、、、(お菓子を食べて過ぎて美味しいお夕飯を残してしまう気分です。)目先の面白いこと楽しいことにうつつを抜かして。
 日本での2か月の語学訓練でフランス語の初心者から初級者に成長した私でしたが、この研修中に中級者への厚い壁を目のあたりにして、脆い箇所はないものか、、壁を撫でたりコツコツしたりしていたような状況でした。でもがっぷり四つに組まないとダメだ。(ほんとは初めから分かってた。。)
 
 昼休みが長いのはシエスタ(昼寝)を取る習慣があるためだと思いますが、この時期のベナン南部は小雨季で気温も低く過ごしやすいので、僕は寝ないで楽器を吹いたり手紙を書いたりしていました。その手紙、というのは、研修を受け入れてくださった小学校の生徒との文通です。研修が始まって間もない頃に年長の生徒数十人との交流会があったり、授業の合間に遊びに来る子たちもいたりで、知り合った子がしばしば!手紙をくれました。ベナンやウィダについて学校で習ったことを書いてくれたり、なんか頂戴とか、日本に行きたいとか、別れの言葉とか。手紙を読むのも書くのもいい勉強にもなるし、子供たちはこちらが言葉が分からなくても辛抱強く話しかけてくるからいい先生です。またウィダに来て再会することを約束してお別れしてきました。
 交流会で子供たちが歌ってくれたて象に残った曲が一つありました。

歌詞(lyrics)
Au clair de la lune, mon ami Pierrot
Prête-moi ta plume, pour écrire un mot
Ma chandelle est morte, je n'ai plus de feu
Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu

メロディ(melody)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
レレレレラ-ラ-/レドシラソ---(re,re,re,re,la-,la-/re,do,si,la,so---)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)

 先生達の説明によればフランス語圏(francophone)の子供はみんな知っている歌だそうです。僕もメロディは日本で何か練習曲のようなもので聞き知っていました。フランス民謡らしい。
 印象的と言ったのは、馴染みやすいメロディでということと、二行目の歌詞が理由です。直訳すると「一つ言葉を書くために、君のペンを貸してくれ」なのですが、ウィダでの三週間でしょっちゅう子供から言われたのが、「ペンを頂戴。(Donne-moi ta vic.)」という頼みです。子供たちにとって外国人/白人はお金持ちで色々な物を持っている人たちなので、ねだって貰っちゃおうということです。日本でもたまに友達のペンを取ってしまったりとかあるけれど、自分よりお金持ちに貰おうという発想はあまり一般的でないと思う。ウィダで過ごしてみて、日本とベナンではお金持ちと貧乏人の存在やそれに対する考え方(納得の仕方)というのが違うようだと感じた。
 ウィダでは子供達と触れ合う機会がとても多くて、仕事とは関係ないけれど、ベナンを知っていくのに実りの多い滞在だったと思います。

Ouidahで体験した伝統、宗教、個人的なこと

ウィダOuidahからコトヌーCotonouに帰ってきました。とゆうわけで、またインターネットがサクサク使える環境になりました。Ouidahで過ごした6/28---7/21の3週間で色々と面白い体験をしたので、これから順ぐりに書いていきます。

---予定---
2)Vodoun(ヴードゥー教)の集会
4)伝統医療?呪術師?Gris-Gris(グリグリ)?
5)奴隷貿易のこと

2010-07-11

ウィダOUIDAHでの語学研修


 コトヌーから西に40Km、海沿いの町OUIDAHウィダで(引き続き)語学研修を受けています。OUIDAHは奴隷貿易の一大中継地だった町であり、博物館や史跡など見ることができます。そのため多くの観光客が訪れるベナン随一の観光地でもあるそうです。(次回書きたい。)
 そのウィダにある小学校L'école Brésil[ブラジル学校]で教室を借りて3週間のフランス語研修を受けています。校庭を真ん中に教室棟がコの字型に配置されていて、下写真の奥にあるように壁のない屋根だけの教室もあります。教室内は自然光のみで、晴れた日には十分に採光されていますが、雨の日は暗すぎて黒板の字が読みにくいです。といっても、、、ランプをつければいいかというと、ここには停電があります。ベナンに来てから日々気付けば、数秒、数分から数時間の停電が発生します。昨日のリスニングテストは停電のため延期になりました。日本にいるときに良く地震が起きて学校が壊れちゃえばなあ、と思ってたけど、そこまでしなくても停電すればいいですね。次からはそう思おう。そう、それにリスニングするにもここでは、窓からは雨粒の音、休み時間になって校庭を走り回る子供たちの歓声、教室のそばまで来て囁きかけてくる子供の声、などが一緒になって聞こえてくる。

2010-06-26

最初の5日間、都市コトヌーでの生活

6/26 土曜日 気温30度 湿度91% 曇り 微風。
 ベナン最大の都市コトヌーにオリエンテーションなどを中心に5日間の滞在中です。雨季、海沿い、ということで蒸し暑いです。でも今日は気温30度程度ということで過ごしやすい(そう)です。
 初めての屋台ご飯。500FCA=100円。炊いたインディカ米にピリ辛のトマトソースで煮込んだ、卵、あ
る種のチーズ、魚を乗せたカレーライス的な食べ物。誰の口にでも合う味だと思います。ハエもたくさん寄ってきます。他の隊員は100FCA=20円で同じようなものを食べたそうで、高かったか。な。まだ物価の感覚が全くありません。
 日本-デンマーク戦、ベナンのビールを飲みながら観戦しました。ベナンにいるのもまだあまり現実感なく夢見心地のため、試合の展開もなんだか非現実的で、「え、ほんとに!?」みたいな感じだった。JICA関係者や日本のNGOの方たちと一緒に観戦しましたが、長く外国に生活していると、その勝利にも格段の嬉しさを覚えるとのことでした。(サッカーつまんない、という人もいる)
 こちらのビール2つほど試しましたが。あっさり甘い感じです。ちなみにこのレストランでは料理一皿4000FCA=800円程度でした。やはり物価が分からない。

詳細は後ほど。

2010-06-25

日本からベナンへ渡航

 日本からベナンに渡航しました。今回は青年海外協力隊として、公務という形で移動をするため、
一般旅券ではなく公用旅券
格安航空券ではなく正規航空券
を利用して飛行機に乗りました。そのためか、預け荷物は2つ合わせて23×2=46Kgまで許容でした。
 6/23日朝に東京Narita空港から出発。
 パリに夕方に到着して一泊。次の日はパリCDG空港からベナンCotonou空港へ移動。昼ごろ出発予定でしたが、機体整備に時間がかかり二時間ほど遅れました。もう「アフリカ時間」なのかな、と半端な偏見を感じたり。
 ベナンコトヌー空港に着いたのは、真夜中0:00。預け荷物の受け取りに時間はかかるだろうと踏んでいたけれど、やぱっりかかった。一時間ほど。宿舎に着いたのは日付変わって現地時間で24日の01:00。蚊に怯えながら、初めて蚊帳の中で寝た。

2010-06-03

何が出るかな?フランス語 @KTC, 30 apr. 2010


ベナンからの留学生の方とセネガルからJICAに研修にいらしている方を招いて、語学の練習をかねた交流会を行いました。写真は日本のテレビ番組の某ゲームをフランス語やろうとしているところです。
恋愛についてのトピックはやはり盛り上がりました。きっと万国共通なのかな?

語学交流会を終えて;
 こちらから簡単な質問をして短い返答をしてもらうような会話であれば、ある程度は内容を理解できたが、相手が自分の意見を述べる短いスピーチのような場面になるとまだ全く耳がついていけない。せっかく真剣に話してもらっているのに理解できないのは、本当にもったいない。
 ベナンにはフォン語というアフリカの言葉があります。ゲストの方に、こんにちは(kudo hweme)とさようなら(Edabo)という挨拶を投げかけてみたら、とても喜んでくれた。今はフランス語の勉強で手一杯だけど、おいおいフォン語も話せるようになりたい、と感じた。アフリカの方、ベナンの方の多くは学校と家庭で違う言葉を話している場合が多いそうです。例えば学校ではフランス語で勉強して、家庭では家族とフォン語で話している。だからベナンに行ったら、彼らがどんな状況でフランス語を身につけて、どんな気持ちでフランス語を話しているのかというのを理解していきたいと思う。

2010-05-22

語楽と音楽と

協力隊の訓練生活が始まって一カ月ちょっと経ちました。毎日は、スケジュールでいえば朝から夕方までは言語を学習して休み時間には楽器の練習などをしています。言い方を変えると、挨拶を交わしたり言葉を交わしたり音を交わしたり。外の騒音に邪魔されることもなく、自分たちのために時間は過ぎていきます。砂場の山みたいにすぐその形はなくなってしまうような生活だけど、公園で遊んでたら日が暮れたような、そして明日を待っている。そういう感覚で過ごしています。
Plus de un mois a passé depuis début de stage de JOCV. Nous etudions une langue de matin à soir et je pratique l'instrument musique pendant des pose. En autre façon, nous faisons la comunication avec des salutations, la langue et des son. Le temps passe pour nous sans bruits de l'exterieur. Comme une montagne dans un bac à sable, la forme de vie ici disparaîtrai tout de suite, mais je passe la vie ici, comme quand on joue dans un parc et le jour tombe, on attend demain. Je passe le temps comme ça.

語学の勉強は主に、誰かと楽しい時間を過ごすためだと思うから、楽しくできる気がする。仲間の想いのこもった話を聞いたり知識を共有するのはとても楽しいし、例えば自分の興味のある色盲の話をフランス語で話してみようとしたのは、今の訓練所にいるからできたことだと感じる。それと、ここでも音楽は言葉と違う不思議な関係を築いてくれる大切な生活の部分です。
Je pense que l'etude de langue est pour passer le temps joyeux avec quelqu'un, donc j'en peux faire bien. C'est très interessent de écouter les histoires ou posséder autres conaissances. Par exemple, je peuvais parler sur le sujet du daltonism en français que m'interesse, c'était grâce à ici. En plus, la musique est une partie important de la vie qui construit des relations mystères qui sont différants de la langue.

2010-04-18

雪が降って体育館で[Snowy day in a gym][La neige et l'exercise dans un gymnase]

4/16, 17, 18 @駒ヶ根訓練所 雪やこんこん

2010-04-17

桜水雪桜 cherry,water,snow,cherry

4/6 @小田原城お堀
4/17朝 @長野県駒ヶ根市

2010-04-04

World music current 5 [サイボーグおじいちゃん Cyborg grandpa]

人工海馬から引っ張ってきた不規則な雑音の混じったラジオが流す
何十年前の音楽をつっこんで
同期してみる
心拍数がちょっと上がってドキドキする

たまにはステレオイヤホンで音楽を聴くのもいい
左右の調整なんてしなくていい
鼓膜だけに響く音楽はなんだか耳栓されてるみたいだ

脂を熱くする
結晶化した砂糖
西瓜の種酒は盲腸でちやぷちゃぷ

月色の西瓜はおぼろ月
肥大する耳石をつるつるに磨いて
音を切っておやすみ

listen to a music in radio with arrhythmic noises from artificial hippocampus
synchronized with it
heart rate up thumping

It is good to hear with earphones sometimes
unnecessary to tune up left, right
sounds hearing on eardrums is like to be earpluged

heat the fat
crystallized sugar
Rum made of water melon seed chapp,chapp in the blind gut

water melon of moon colour is large moon
brush enlarged ear stones smooth
cut out the sounds, then good night.

aoki takamasa: mirabeau via YouTube

2010-04-02

World music current 4 [福田元総理を中心に歴代総理を覚える]

昨日4月1日は、毎年恒例で多くの入社式が行われたようです。
僕はといえば新卒入社しなかったため、新入社員ではなくエイプリルフール(四月ばか)です。

でも昨年の今頃は、新聞社への就職を考えてそれなりに活動をしていました。大手マスコミ各社の筆記試験は申し合わせたようにこの四月の初旬にあって、そのための受験勉強を一生懸命していたのを思い出します。一般的に出題内容はやはり時事問題が主で、戦後以降から直近の話題までの知識が問われる設問が多いです。例えば政治を勉強するにあたって政治家の名前を覚えようと、こんな表を作ったりしてました。


表を見て分かるように、日本の総理大臣はすぐ変わるから人数も多くて覚えるのが大変。
昨年は無理矢理詰め込んで覚えていたけど、今はかなり怪しいのが実状。だがいくら入社しなかったとはいえ、社会人として知っておきたい気もする。でもまた「勉強」をしても時間が経てば忘れてしまいそうだし、しかっりした歴史や政治背景を理解しながら総理大臣のことを知るのには時間はかかってしまう。。
そんな僕や、同じ悩みを抱えるあなたにオススメの暗記法を紹介します。
これなら、歴代総理大臣の名前(苗字)とその人の実績や任期、趣味までも覚えられます。
福田さんにいたっては、代表的な発言まで覚えられるので重宝しますね。


吾妻光良トリオ:「かっこいいよね福田さん」 via YouTube

何年か前に実際にライブでこの歌を聴きましたが、このビデオではちゃんと93代まで更新されてます。

2010-03-23

風の吹いた日 Windy day

2010-03-14

ぶらぶら散歩 Wolk around

2010-03-13

修士論文を提出しました。カラーで。 I submitted my master thesis with color-printed

 修士論文を提出しました。補足したいことが発生したのでもう一度取り上げます。
 提出した論文中にたくさんの図表を挿入しましたが、折れ線や棒グラフをグループ分けする際に主に「色」による分類をしています。例えば上のような折れ線グラフです。A,B,D,E,F,G,Hの七つの折れ線を、A:青実線,B:水色点線,D:黒実線,E:黄緑点線,F:緑実線,G:黄色実線,H:赤実線のように区別しています。右側の四角で囲ってある凡例を参照することで、左側の折れ線グラフを見分けることができる、、、と思っていました。今朝までは。2010年3月13日。
 
 今朝、父と話をしていて思い出したのは、世の中には色の見え方が違う人がいるということ。
 そして初めて知ったのは、見え方の違う人は結構多くいるということ。

 ちょっと情報の出所が分からないですが、[色盲の人にも分かるバリアフリープレゼンテーション法]によると、黄色人種では男性:5%、女性:0.2%、白色人種では男性:8%、黒色人種では男性:4%が色覚異常、色盲、色弱という言葉で表される状態に該当するそうです。上記サイトでは、色覚のメカニズムのことや色覚バリアフリーのことについて分かり易く解説・提言されています。少しサイトを見て、というか常識から考えても分かるのは、僕の提出した論文はバリアフルな図表に溢れているということです。

 もうひとつ思ったことは、人によって色(物)の見え方がされぞれ違うだろうということ。

 色だけでなく明るさなども人によって違う可能性が大きい。それに近視や乱視や老眼などもありふれているわけだから、実はみんな違うように見ているんだろう。そんなことは当たり前なのに、そういったことに意外なほど無頓着な自分がいる。それはバリアフリーの観点では他人への配慮や想いやりの欠如と言えるし、また一方で自分自身の生活という点でもとても面白いことを見落としていると思った。

2010-03-08

修士論文を提出しました

'Study on the database structure of commercial buildings for reduction of energy consumption'というタイトルで修士論文を書き終えました。4月中旬以降にはインターネット上で閲覧が可能となるようです。僕の書いた論文が人に見て読んでもらう価値がどれだけあるか甚だ不安だというのが僕の本心で、せっかく時間を費やし、お金をかけ、色んな人に協力してもらい、研究したのに、そんな風に思う自分自身が情けない。論文自体も研究をして論文を書いたおかげで身についた何かも、なんらかの役に立ってほしいと願う。というか役立てよう。

4月7日から6月10日にかけては、青年海外協力隊の研修で長野県の訓練所に滞在する予定です。これから一ヶ月間はなるべくフランス語と漁業に関して勉強を進めながら出かける準備を済ませます。
この冬を越せば、あと二年は冬が来ないはずです。

2010-03-07

ちょっと温かい [little warm]



最近ギターを弾く練習をしていて、
空気公団というバンドの「動物園のにわか雨」という曲を少し弾いて歌ってみたものです。

2010-03-03

あんこう鍋 [sea toad pot]

味噌仕立てで肝入りのお汁
しいたけ八芒星
野菜は煮えた
あんこうの肉投入
さー食べよう
おいしくて、おじやの写真撮るの忘れてた。。

2010.2.26 @福島県いわき市湯本の温泉宿

2010-01-31

22 degrees side [22度、横]

小田原市国府津にて午後4:00頃。
初めて気がついた「幻日」 という現象。
通常、太陽から22度左右の位置に見えるのだそう。

2010-01-22

today it is warm

It had been cold till yesterday, it got warm today.
Wind outside of window is freshcool ,
so we can open the window and spend time just listening to sounds.
Dinner, switch off TV, PC.
Be together sharing the same time.

? You are sick today?
Well, close the window. You don't want dinner tonight.
And you want to check the news about Haiti quake?
Ok, switch on TV.
and I check out tommorrow weather.

2010-01-16

elles@centrepompidouあとゲゲゲの鬼太郎

このあいだの11月に一日間だけフランスのパリに行ってきました。
旅行に出かける少し前に、大学のフランス語の先生が、
ルーブル美術館は古典
オルセー美術館は印象派
ポンピドゥーセンターは現代美術
というような区分けがあるんです、と言っていたのです。
ルーブルとオルセーは広大なようだし、ポンピドゥーpompidouって気になる響きだ、と思って
パリでの一日はそこで過ごすことにしました。


僕が訪ねた時は、"elles @ pompidoucentre"と題して 近代現代の女性artist200人500作品の展示をしていました。 入り口でワールドホームレスオーガニゼーションのメンバーだというRomaらしき男性に3ユーロ渡してから、5ユーロくらいする大きなバゲットのサンドウィッチを食べきり中に入る。まずはミュージアムショップで"ゲゲゲの鬼太郎8"を買う。

展示はいくつかのテーマで分割されており、pioneer, free fire, body slogan, the activist body, a room of one's own, wordworksといった系統立てがなされている。現代を生きてる女の人の表現が、友達や普段の生活で感じる性的なことや女性に対する想いなどの身近な感覚や経験とつながったりして、親近感の沸く部分も多かった。そしてまた攻撃的や残酷もしくはすごく冷静だと感じさせられる作品も多くて、なぜかそれを見る自分は無表情である気がした。
鮮烈に印象に残る作品、見た目は忘れてしまったけど手触りを覚えているような作品、隣で見てた人。

http://elles.centrepompidou.fr/で映像や作品情報が少し見れます。

 
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