2011-11-22

まじないの木

コトヌーで何か書籍を購入したい場合、市内にある三つの大型書店に出向いて探すことができる。その内の一店はノートルダム書店という名前で、ノートルダム教会というカトリックの教会の隣にある。売り場は1階と2階があるが、特徴としては二階売り場の半分ほどは宗教コーナーで占められていること。カトリック教会のとなりにあってその教会と同じ名前をつけていることからも、教会と書店にはおそらく強い繋がりがあるのだろう。
 先日11/18から11/20にベナンを訪問したローマ教皇は、このノートルダム教会を訪れて演説を行ったそうです。今回の教皇ベネディクト16世のベナン訪問により、ベナンは(いや、コトヌーの状況しか分からない身分としてはコトヌーでは)大騒ぎでした。訪問二週間前あたりから、普段は外国資本の広告が貼られている大型看板に教皇からのメッセージが書いてあるポスターが貼られ、教皇を歓迎するビラも至る所の壁や柱に貼られだしました。教皇の訪問当日は見物客や支持者で一部の沿道が賑わっていて、交通規制も行われました。自分自身は最近暑くなってきているために炎天下の見学はせず、ラジオやテレビで始終流れている各所での教皇の演説が聞こえてきた程度でした。ベネディクト教皇は多言語に精通しているらしく、英語、フランス語、教会ラテン語?など複数の言語で演説していたのが印象的でした。フォン語の台詞を加えた演説もあったとか。
 そう、ここにはフォン語の聖書というものが存在している。キリスト教徒は世界中にたくさんいて様々な言語に翻訳された聖書が存在するのは想像に難くないけれど、ここコトヌーで生活してフォン語という言語に触れてみると、フォン語は文字のない言語だという点を思い出す。日常的にフォン語は読み書きされるということがなく、アルファベットによるフォン語の表記方法が確立しているものの、かなり少数の人しか習得していないのが現状。元来、文字表記のない言語であの長文を翻訳して書物にするというのは、かなりの膨大かつ困難な作業だろうと思う。そういえば、以前このブログで書いたフォン語フランス語辞書はベナンに長く住む宣教師が主著者だった。布教・宗教の動機というのは凄い力があるんだろう、と感じる。
 そして東京の街角にあってコトヌーの街角にない人種は、本を読む人。街角や移動車内で本、雑誌、新聞の類を趣味で読んでいる人は少ない。それは、一定数のベナン人は文字になるフランス語を母語のように習得している訳ではないのが理由の一つだろう。かといってフォン語は文字表記しない言語でありフォン語で書かれた書籍というのは、一般的にはそれこそ聖書くらいなものだろう。しかしながら、大型書店の一つバファロー書店ではフォン語による民話の絵本などが売られていて面白い。学校で現地語教育を取り入れることを考えている人たちも一部にいると聞いた。
 親が子供に教育を受けさせたいという動機も強いものがあるのは日本でも耳にしていたが、大型書店では教科書の売り場が広く、おそらく保護者であろう女性が購入しているのを多く見る。大型書店以外に書籍を扱う場所としては、街中や道端で教科書のみを売っている書店が多く見られる。私も、家の近くの教科書店で、ベナンの学校で教材として使われているベナン人著者による小説"L'arbre fétiche"(まじないの木)を買って読みました。何故かこの本はカメルーンの出版社によって出版されていて、ますますベナンにとって本と文字はあまり縁がないのかと感じます。
 ベナンに来たからベナンの本を読みたいという要望は、本という形を求める時点で自分の出自の文化とこちらの文化の差異を感じさせます。これからもそれは変化しないのか、発展・成長とかいうことを考える時にはどうしても先進国・発展途上国という物差しをあてることになりがちですが、そこを離れて考えてみたい。となると、やはり私はそんなことを論ずる本を読むのか、それとも、、、

2011-11-15

みかけしな [挨拶回し]

ある同僚との朝の挨拶(フォン語と一部ミナ語を含む)

同僚「よく寝れた?」
私「うん、気持ちよく目覚めたよ。あなたは?」
同僚「うん、私も元気だよ。」
同僚「昨日はどうも」
私「こちらこそ」
同僚「奥さんは元気?」
私「元気だよ。」
同僚「子供たちは?」
私「うん、元気だよ。」
同僚「実家は大丈夫?」
私「うん、大丈夫大丈夫。」

 やっとここからフリートーク開始。この同僚とは上記と寸分たがわぬ挨拶をほぼ毎日繰り返しています。こちらでは、挨拶を必要不可欠の習慣としていて、私自身も一日中よく挨拶しています。挨拶の内容の特徴として、相手が平静な状態にあるかを確認する質問形式になっている点に気付きます。相手自身の状態はもちろん、相手の身内も含めて質問することが多いです。上の挨拶には含まれていませんが、健康はどうか、商売はどうか、という質問が加えられることもよくあります。それを確認してからフリートークを始めるのが一種の礼儀なのではないかと私は思っています。日本で喪中かどうかを気にするような感覚なのではないかと。
 ところで、私のことを知っている人はいつ結婚して子供ができたのかと思われるかもしれませんが、そういう訳ではないのです。半分は嘘をついているけれども、日本人の感覚から離れれば全部嘘ではないと私は思う。
 まず奥さんに関して:ベナンでは日本に比べて平均結婚年齢が低く、一人の成人・社会人としては妻帯していることが非常に重要だと考えられているようです。また届出を出していなくても事実婚という形もあるので、私のような二十代後半の男性に対して奥さん(彼女)のことを質問するのは自然な流れだと思われる。
 子供たちに関して:知り合いのベナン人や西アフリカの人と話していると、家族という言葉で括られる共同体の範囲は自分の思い浮かべる家族よりも大きい場合がよくあります。血縁・親戚のつながりを重要視して大切にしていること、一夫多妻で家族構成が複雑にな場合もあることなども影響しているかもしれません。たとえば兄弟という言葉は、親しい親戚の子供たちを呼ぶ時にも使っているのを耳にします。
 とゆうわけで、奥さんも子供もいないけれど、半分は本心で答えていることになるかと。

2011-10-13

みかけしな [Français-Fongbe辞書]

とうとう、折り良く、フォン語辞典を見つけました。
ベナン国に来て一年と三ヶ月が過ぎ、コトヌーに留まれるのもあと九ヶ月になりました。日々、協力隊としての活動や音楽活動などこの町で楽しく過ごさせてもらっていますが、帰るまでの月日を指折り数えながら、既に後悔している、というか帰ったら後悔するだろう、と悩んでいることが、この町の二大言語の一つフォン語との付き合い方。もう一方の主要言語フランス語については、活動のため交流のため自分のため、習得をしようと思ってきましたが、フォン語に関しては非常にお粗末と言われて当然な状況です。悩みとは、フォン語を話せない自分のお粗末な状態のことではなくて、この言葉を粗末にしてきた自分に対する疑問です。

この町で生活する私にとってのフランス語とフォン語の必要性を考える。
活動のためという点ではどちらかがより有用だと簡単に判断できない。
交流のためという点では、コトヌーにいるベナン人の多数はフランス語とフォン語の両方を話す。それ以外にフランス語で話せるのは北部などフォン語圏外から来たベナン人や外国人で、逆にフォン語でのみ話せるのは、初等教育を受けていないフォン語圏の人達。
自分のため、を考えると、フランス語の本が読める、映画が観られる、ニュースから情報が得られる、フランス語圏の人と話せる、というような将来的なことも含めた受益が多くあるような気がしてくる。フォン語の本・映画はほとんどない、フォン語圏の文化、特に音楽に対しては興味もあるが、フォン語を今後使う機会などないような気もする。
また学習環境の違いとして、フランス語に比べると、フォン語には外国人学習者用の辞書、文法書などが充実していないという状況があります。今回、コトヌーの書店にて初めてフランス語-フォン語辞書を見つけた次第です。
まとめると、今まで、二つの言葉・文化の、話しての数の違い、質の違い、それに対する優劣判断、実用度、学習環境、等を並べて優先順位を決めようとした結果、フランス語ばっかりやっていた訳です。

しかし、その浅薄と疑われる価値判断に気分も悪くなり、フォン語への未練を引きずっており、フォン語辞典を書店で見つけた時は、よし今ここからがフォン語学習の本格開始だ。とベナンに来て数度目の決意をしました。

2011-09-22

みかけしな [イルカ号とサカナ号]


 
 私はコトヌー零細漁港に青年海外協力隊の統計という職種で配属されているので、元々は水産統計に関連する活動からスタートしたのですが、最近は漁港の広報に関わるような活動に主軸を移しています。例を挙げると、お客さんのための簡易案内板やパンフレットの作製、そして今やろうと意気込んでいることが、ウェブサイトの立ち上げ。
 そんなわけで必要だと思っているのが、漁港の全体像を見渡せるような写真。アイディアとしては、見晴らしの良い海側から写真を撮るか、近くの高い建造物に登って写真を撮る方法が考えられます。実はすぐ近くに格好の灯台があるのですが、軍事関連の施設らしく写真撮影の許可は降りないようです。しようがないので、漁港のすぐ隣に海に向かって伸びている大型船舶用の埠頭に入らせてもらい、写真を撮ってたのが上の写真です。漁港全体がすっかりと入ってなるべく近い所から撮影したいのですが、そうするとDAUPHIN(イルカ)号が自分が主役だと言わんばかりに鎮座礁しているのです。

 広報の活動をしようと考え始めてから、やはり景観による清潔感のイメージなどはお客さんを捕まえるのに大事かなと思うようになりました。一方で、現在の乱雑で時に異臭がする漁港にエネルギーを感じるような気がして、どっちが素敵なことか分からないとも考えています。余談ですが、今週はコトヌーのフランス文化センターで催されているヨーロッパ映画週間に毎日通ってヨーロッパ映画を観ているのですが、暑くて雑然としたコトヌーに一年以上住んでいるからか分からないけれど、特に北のほうオランダとデンマークの映画に写る街の景色を観ていてその整然さに違和感と落ち着かなさを感じました。
 漁港の話に戻ると、漁港には小さなポイステされたごみから大きなコンテナなどの粗大ごみ、それから生ごみなどが散らかっていて、景観や衛生的によくないと感じます。それで大きなゴミは一回片付けてしまえばそれでお終いなので機会を見つけて撤去してほしいと思っています。さっきのイルカ号も漁港前に鎮座礁してからもう何年も経ちます。そして最近漁港に入港してきてかれこれ一ヶ月ほど居座っている船があります。
SAKANA号です。どちらの船も小耳に挟んだところによれば日本がベナン政府に供与した船だそうです。廃船になるのは様々事情があると思いますが、漁港に捨てっぱなしはよしてほしいです。

2011-09-02

みかけしな [約1m×1m×2mちょい箱]






 約1m×1m×2mちょいの箱形店舗。コトヌー市内の道沿いに点在。 箱の中の人が雑貨やテレフォンカードを販売している。 ベナンでは携帯電話はプリペイド式のため、数百FCFAから数千FCFA単位で頻繁に通話料のチャージが必要であり、写真下のようにテレフォンカードに特化した店も見られる。ベナンに来たときからたまに買いに来ていたこの店、閉めてしまった。彼は今はなにをしているんだろう。
 基本的に窓は正面左右の三方に開いており、どこからでも買えるような気がしないでもない。 屋根が後ろに少しだけ傾いていることで、機能性を持たせつつ固すぎない印象を与えているよう。

 
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