2011-11-26

みかけしな [モスケ・カダフィ]

平日に漁港で活動していてお腹が減った時は、漁港の裏にある「カフェテリア」で食事をとることが多い。ここコトヌーで呼ばれるcafeteria(カフェテリア)とは、コーヒー(カフェ)とスパゲッティ、卵焼き、あとヨーグルトを提供する露店のことである。このカフェテリアはコトヌーの街に溢れていて、その大半が同じような外観である。木造で建てられた一部屋のキッチン、キッチンを取り囲むように三方を囲む客席、壁や椅子は青もしくは稀に緑で塗られている。メニューに関しても例外は殆どないようで、スパゲティには常に「赤」と「白」がある。具はどちらも共通でサイコロ状の羊肉、玉ねぎのスライス、トウガラシが入っているが、白は塩と化学調味料(MAGGI)による味付けで、赤はそれにトマトソースが加わっている。値段は300FCFA(60円)。外観もメニューも値段も同じであれば、そこで働いている人も似通っているようで、殆どの店はギニア、ニジェール、マリ辺りの国の出身者によって運営されているようだ。であるから、彼らはイスラム教徒であり、店の近くでござをひいて祈りをしている所なども見かける。

 漁港の裏のカフェテリアのある区画はバラック街であり、人とバイクとリヤカーが通れるほどの細い道沿いに屋台や飲み屋や雑貨などが連なる100mほどの通りである。その通りの裏には舗装された道路があり、そこには高級レストラン、中級レストランなどが複数ある。この区画は更に道幅の広い舗装道路をするために整備対象になっていて、最近は立ち退きを迫る警告なども発せられている。先週には店々の壁に赤色のペンキでバツ印が描き殴られ、「壊す」「破壊する」などの単語も併記された。なぜ、ここに舗装道路を通さなくてはならないのかカフェテリアの面々に聞いてみると、「この先に大きなホテルが建設中で、そのホテルのために車両が通れるようにするためだよ。」とのこと。確かに立派なホテルが出来上がりつつあるが、「にしても、なぜ?」というような質問の答えを並べると、「あれはヤイボニ(大統領)のホテルなんだよ」、「カダフィとオマールボンゴが援助してるんだよ」、「最近バラック街の整備はコトヌー市が積極的に進めているんだ」などとのこと。どうやらホテル側には、何がしか利権がありそうだ。
 そういうわけで、利用者の一人としてその区画の行く末が気にかかって、壊される前に、と高級レストラン(こちらは値段4000FCFAほど)に一度食事しにいったり、カフェテリアにも毎日のように足を運んでいる日々。昨日も昼頃に赤スパゲティを食べていたら、店主がバイクタクシーを店前まで呼びつけてこれから出かける様子。バイクタクシーに行き先を告げる彼の言葉を聞いていたら、「モスケ・カダフィまで」と。思わず、店で働いている知り合いに「モスケ・カダフィってあのカダフィの?」と聞いたら、彼(リビア)の援助で建てられた大きなモスケだとのこと。彼の死の報道に触れて、何の前知識もなかった私は、この大ニュースに興奮している人たちの反応に残念だという気持ちも少なからず含まれていることに、なんとなく気づいた。なんでか話を聞いてみると、「彼(リビア)はアフリカ諸国に今までたくさんの援助をしてきてくれたから、」だと。ベナンについて今まで聞いたところでは、そのモスケ、アラブ・イスラム文化学校、舗装道路などに援助してきたらしい。モスケと学校に関してはイスラム教徒しか受益のできない質のものだが、舗装道路というのはかなり大きなインパクトがあるのではないかと思う。舗装道路が通るというのは今の日本でいえば高速道路や新幹線が通るという感じか。
 いったいどれほどの援助があったのか全体像や、今回のリビアの報道を巡っての真偽など、知りたいですが、真実を知るのって労力が必要で疲れるものですね。ネットで下記ブログを読んでたら、「独裁者が倒されて民衆が歓喜する」みたいな定番通りの映像を流しておけば、受け取る側は知的負担なくそれを事実として受け入れる、というようなことが書いてあった。
そうだよなあ、ニュース見るのも楽なのがいいよなあ。見て、ふむふむ納得、くらいが精神衛生上いいし。ニュースってのも、音楽をサプリメントとして聴くのと同じような効用があるのだろうか、などと考えはじめたり。とりあえず、暑い中モスケを見に行くくらいの負担は僕にも負えます。

(写真後掲)

2011-11-22

まじないの木

コトヌーで何か書籍を購入したい場合、市内にある三つの大型書店に出向いて探すことができる。その内の一店はノートルダム書店という名前で、ノートルダム教会というカトリックの教会の隣にある。売り場は1階と2階があるが、特徴としては二階売り場の半分ほどは宗教コーナーで占められていること。カトリック教会のとなりにあってその教会と同じ名前をつけていることからも、教会と書店にはおそらく強い繋がりがあるのだろう。
 先日11/18から11/20にベナンを訪問したローマ教皇は、このノートルダム教会を訪れて演説を行ったそうです。今回の教皇ベネディクト16世のベナン訪問により、ベナンは(いや、コトヌーの状況しか分からない身分としてはコトヌーでは)大騒ぎでした。訪問二週間前あたりから、普段は外国資本の広告が貼られている大型看板に教皇からのメッセージが書いてあるポスターが貼られ、教皇を歓迎するビラも至る所の壁や柱に貼られだしました。教皇の訪問当日は見物客や支持者で一部の沿道が賑わっていて、交通規制も行われました。自分自身は最近暑くなってきているために炎天下の見学はせず、ラジオやテレビで始終流れている各所での教皇の演説が聞こえてきた程度でした。ベネディクト教皇は多言語に精通しているらしく、英語、フランス語、教会ラテン語?など複数の言語で演説していたのが印象的でした。フォン語の台詞を加えた演説もあったとか。
 そう、ここにはフォン語の聖書というものが存在している。キリスト教徒は世界中にたくさんいて様々な言語に翻訳された聖書が存在するのは想像に難くないけれど、ここコトヌーで生活してフォン語という言語に触れてみると、フォン語は文字のない言語だという点を思い出す。日常的にフォン語は読み書きされるということがなく、アルファベットによるフォン語の表記方法が確立しているものの、かなり少数の人しか習得していないのが現状。元来、文字表記のない言語であの長文を翻訳して書物にするというのは、かなりの膨大かつ困難な作業だろうと思う。そういえば、以前このブログで書いたフォン語フランス語辞書はベナンに長く住む宣教師が主著者だった。布教・宗教の動機というのは凄い力があるんだろう、と感じる。
 そして東京の街角にあってコトヌーの街角にない人種は、本を読む人。街角や移動車内で本、雑誌、新聞の類を趣味で読んでいる人は少ない。それは、一定数のベナン人は文字になるフランス語を母語のように習得している訳ではないのが理由の一つだろう。かといってフォン語は文字表記しない言語でありフォン語で書かれた書籍というのは、一般的にはそれこそ聖書くらいなものだろう。しかしながら、大型書店の一つバファロー書店ではフォン語による民話の絵本などが売られていて面白い。学校で現地語教育を取り入れることを考えている人たちも一部にいると聞いた。
 親が子供に教育を受けさせたいという動機も強いものがあるのは日本でも耳にしていたが、大型書店では教科書の売り場が広く、おそらく保護者であろう女性が購入しているのを多く見る。大型書店以外に書籍を扱う場所としては、街中や道端で教科書のみを売っている書店が多く見られる。私も、家の近くの教科書店で、ベナンの学校で教材として使われているベナン人著者による小説"L'arbre fétiche"(まじないの木)を買って読みました。何故かこの本はカメルーンの出版社によって出版されていて、ますますベナンにとって本と文字はあまり縁がないのかと感じます。
 ベナンに来たからベナンの本を読みたいという要望は、本という形を求める時点で自分の出自の文化とこちらの文化の差異を感じさせます。これからもそれは変化しないのか、発展・成長とかいうことを考える時にはどうしても先進国・発展途上国という物差しをあてることになりがちですが、そこを離れて考えてみたい。となると、やはり私はそんなことを論ずる本を読むのか、それとも、、、

2011-11-15

みかけしな [挨拶回し]

ある同僚との朝の挨拶(フォン語と一部ミナ語を含む)

同僚「よく寝れた?」
私「うん、気持ちよく目覚めたよ。あなたは?」
同僚「うん、私も元気だよ。」
同僚「昨日はどうも」
私「こちらこそ」
同僚「奥さんは元気?」
私「元気だよ。」
同僚「子供たちは?」
私「うん、元気だよ。」
同僚「実家は大丈夫?」
私「うん、大丈夫大丈夫。」

 やっとここからフリートーク開始。この同僚とは上記と寸分たがわぬ挨拶をほぼ毎日繰り返しています。こちらでは、挨拶を必要不可欠の習慣としていて、私自身も一日中よく挨拶しています。挨拶の内容の特徴として、相手が平静な状態にあるかを確認する質問形式になっている点に気付きます。相手自身の状態はもちろん、相手の身内も含めて質問することが多いです。上の挨拶には含まれていませんが、健康はどうか、商売はどうか、という質問が加えられることもよくあります。それを確認してからフリートークを始めるのが一種の礼儀なのではないかと私は思っています。日本で喪中かどうかを気にするような感覚なのではないかと。
 ところで、私のことを知っている人はいつ結婚して子供ができたのかと思われるかもしれませんが、そういう訳ではないのです。半分は嘘をついているけれども、日本人の感覚から離れれば全部嘘ではないと私は思う。
 まず奥さんに関して:ベナンでは日本に比べて平均結婚年齢が低く、一人の成人・社会人としては妻帯していることが非常に重要だと考えられているようです。また届出を出していなくても事実婚という形もあるので、私のような二十代後半の男性に対して奥さん(彼女)のことを質問するのは自然な流れだと思われる。
 子供たちに関して:知り合いのベナン人や西アフリカの人と話していると、家族という言葉で括られる共同体の範囲は自分の思い浮かべる家族よりも大きい場合がよくあります。血縁・親戚のつながりを重要視して大切にしていること、一夫多妻で家族構成が複雑にな場合もあることなども影響しているかもしれません。たとえば兄弟という言葉は、親しい親戚の子供たちを呼ぶ時にも使っているのを耳にします。
 とゆうわけで、奥さんも子供もいないけれど、半分は本心で答えていることになるかと。
 
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