2011-10-13

みかけしな [Français-Fongbe辞書]

とうとう、折り良く、フォン語辞典を見つけました。
ベナン国に来て一年と三ヶ月が過ぎ、コトヌーに留まれるのもあと九ヶ月になりました。日々、協力隊としての活動や音楽活動などこの町で楽しく過ごさせてもらっていますが、帰るまでの月日を指折り数えながら、既に後悔している、というか帰ったら後悔するだろう、と悩んでいることが、この町の二大言語の一つフォン語との付き合い方。もう一方の主要言語フランス語については、活動のため交流のため自分のため、習得をしようと思ってきましたが、フォン語に関しては非常にお粗末と言われて当然な状況です。悩みとは、フォン語を話せない自分のお粗末な状態のことではなくて、この言葉を粗末にしてきた自分に対する疑問です。

この町で生活する私にとってのフランス語とフォン語の必要性を考える。
活動のためという点ではどちらかがより有用だと簡単に判断できない。
交流のためという点では、コトヌーにいるベナン人の多数はフランス語とフォン語の両方を話す。それ以外にフランス語で話せるのは北部などフォン語圏外から来たベナン人や外国人で、逆にフォン語でのみ話せるのは、初等教育を受けていないフォン語圏の人達。
自分のため、を考えると、フランス語の本が読める、映画が観られる、ニュースから情報が得られる、フランス語圏の人と話せる、というような将来的なことも含めた受益が多くあるような気がしてくる。フォン語の本・映画はほとんどない、フォン語圏の文化、特に音楽に対しては興味もあるが、フォン語を今後使う機会などないような気もする。
また学習環境の違いとして、フランス語に比べると、フォン語には外国人学習者用の辞書、文法書などが充実していないという状況があります。今回、コトヌーの書店にて初めてフランス語-フォン語辞書を見つけた次第です。
まとめると、今まで、二つの言葉・文化の、話しての数の違い、質の違い、それに対する優劣判断、実用度、学習環境、等を並べて優先順位を決めようとした結果、フランス語ばっかりやっていた訳です。

しかし、その浅薄と疑われる価値判断に気分も悪くなり、フォン語への未練を引きずっており、フォン語辞典を書店で見つけた時は、よし今ここからがフォン語学習の本格開始だ。とベナンに来て数度目の決意をしました。

2011-09-22

みかけしな [イルカ号とサカナ号]


 
 私はコトヌー零細漁港に青年海外協力隊の統計という職種で配属されているので、元々は水産統計に関連する活動からスタートしたのですが、最近は漁港の広報に関わるような活動に主軸を移しています。例を挙げると、お客さんのための簡易案内板やパンフレットの作製、そして今やろうと意気込んでいることが、ウェブサイトの立ち上げ。
 そんなわけで必要だと思っているのが、漁港の全体像を見渡せるような写真。アイディアとしては、見晴らしの良い海側から写真を撮るか、近くの高い建造物に登って写真を撮る方法が考えられます。実はすぐ近くに格好の灯台があるのですが、軍事関連の施設らしく写真撮影の許可は降りないようです。しようがないので、漁港のすぐ隣に海に向かって伸びている大型船舶用の埠頭に入らせてもらい、写真を撮ってたのが上の写真です。漁港全体がすっかりと入ってなるべく近い所から撮影したいのですが、そうするとDAUPHIN(イルカ)号が自分が主役だと言わんばかりに鎮座礁しているのです。

 広報の活動をしようと考え始めてから、やはり景観による清潔感のイメージなどはお客さんを捕まえるのに大事かなと思うようになりました。一方で、現在の乱雑で時に異臭がする漁港にエネルギーを感じるような気がして、どっちが素敵なことか分からないとも考えています。余談ですが、今週はコトヌーのフランス文化センターで催されているヨーロッパ映画週間に毎日通ってヨーロッパ映画を観ているのですが、暑くて雑然としたコトヌーに一年以上住んでいるからか分からないけれど、特に北のほうオランダとデンマークの映画に写る街の景色を観ていてその整然さに違和感と落ち着かなさを感じました。
 漁港の話に戻ると、漁港には小さなポイステされたごみから大きなコンテナなどの粗大ごみ、それから生ごみなどが散らかっていて、景観や衛生的によくないと感じます。それで大きなゴミは一回片付けてしまえばそれでお終いなので機会を見つけて撤去してほしいと思っています。さっきのイルカ号も漁港前に鎮座礁してからもう何年も経ちます。そして最近漁港に入港してきてかれこれ一ヶ月ほど居座っている船があります。
SAKANA号です。どちらの船も小耳に挟んだところによれば日本がベナン政府に供与した船だそうです。廃船になるのは様々事情があると思いますが、漁港に捨てっぱなしはよしてほしいです。

2011-09-02

みかけしな [約1m×1m×2mちょい箱]






 約1m×1m×2mちょいの箱形店舗。コトヌー市内の道沿いに点在。 箱の中の人が雑貨やテレフォンカードを販売している。 ベナンでは携帯電話はプリペイド式のため、数百FCFAから数千FCFA単位で頻繁に通話料のチャージが必要であり、写真下のようにテレフォンカードに特化した店も見られる。ベナンに来たときからたまに買いに来ていたこの店、閉めてしまった。彼は今はなにをしているんだろう。
 基本的に窓は正面左右の三方に開いており、どこからでも買えるような気がしないでもない。 屋根が後ろに少しだけ傾いていることで、機能性を持たせつつ固すぎない印象を与えているよう。

2011-08-31

さよなら夏の光

っていう小島真由美の曲が好きで、最近音源を聴いたり、ギターで伴奏して鼻歌ったりしています。
 八月が終わるといえば、長年学生として夏休みを繰り返してきた自分としては、=夏休みの終わり、を連想させます。

 Oh, summer sunset past the view in the slow days
 Orange days, orange sky in the slow days
 長い 長い 夏休みは 終わりそうで終わらないんだ
 別人になる 夢を見る 子供の頃の顔をする
 、、、

フィッシュマンズ「SLOWDAYS」

 僕はこの曲を聴いたときに、自分が子供の頃に別人のように変わる自分を夏休みの間にいつも想像していたのを思い出しました。まあ俗っぽく言うと、新学期デビューするって感じか。(この歌の言いたいのは別のことかもしれませんが)
 去年まで大学院に居たときも、夏休みの間に研究も進めていましたが、大学のキャンパス内は閑古鳥が鳴いているし、思えば小学生の時にも宿題や自由研究をしていたし、気分は夏休みでした。
 今年は、夏休みというのを幼稚園入園前以来か分かりませんが、意識せず過ごした年でした。協力隊員(ボランティア)という身分ではありますが、職場で職員と共に仕事をしているので、職員と同じようなリズムで活動をしています。

 もう一つ、ここ西アフリカのベナンのコトヌーにいる僕としては、この八月といえば、=ラマダン、でした。そして今日は約一ヶ月前の8月1日に始まったラマダンが終わった翌日8月30日です。といってもイスラム暦にしたがって行われるラマダンは西暦では毎年11日程ずれていくそうで、今年のラマダンがちょうど八月にすっぽり入ったのは偶然です。
 ここコトヌーではどれくらいの割合か知りませんが、イスラム教徒も多く、モスケも複数存在します。知人・友人にもイスラム教徒はかなりいるので、日本を違って身近なものです。ラマダンといえばやはり断食のイメージですが、ラマダンというのは単なるイスラム暦の月の名前だそうで、断食自体には別の呼び名があったりします。僕の周りではフランス語のCarêmeという言葉を使っています。
 去年ベナンに来てから今回が人生で二度目のラマダンを身近に見る機会で、イスラム教徒の友人に色々質問したりもしますが分からないことも多いです。ここベナンの経済首都コトヌーの場合は、イスラム教徒以外にキリスト教系やヴードゥー教などの人も多く、彼らは日常生活では垣根なく付き合っているようです。
 例えば以前あったヒトコマ:断食の最中の昼間に、無宗教の友人一人とイスラム教徒の友人一人と昼ご飯を食べに行き、僕ともう一人の無宗教組は飯にありついて、もう一人のイスラム教徒の友人は一緒にいるけど食事も飲み物もとらずおしゃべりだけしていた。
 こんなことは何度かあって、昼間の断食は日常風景です。それに、ここコトヌーでは不敬虔?なイスラム教徒も多いので、昼間食べたり、お酒飲んだりする人もいます。(病気の人などは食べてもいいらしいので、その辺の判断の仕方も影響しているのか)

 そんな断食が終わって今日は祝日だったんですが、僕は普通に職場で活動していました。最近、自分的には活動が軌道に乗っているし、楽しいです。他の職員も平日の祝日はけっこう出勤しています。今日は同僚のイスラム教徒だけはお休みしていて、きっとラマダン明けを祝っているはずです。

 、、、
 「大人になんてなりたくない」あなたの残した言葉と影
 さよなら元気でいつの日かまた会いたいね
 、、、

小島真由美「さよなら夏の光」

とゆうわけで、こんな曲がマイブームだった僕は、相変わらず夏休み気分が抜けないよう。
(この記事をここまで書いてきて今気づいたんだけど。)

2011-08-05

world music current 6

 8月1日はベナンの独立記念日でした。1960年のその日にベナンは宗主国であるフランスから独立したということです。その年には多くのアフリカの国が独立を果たしたので、アフリカの年とも呼ばれるそうです。記念日が何日か過ぎた今日でもコトヌーも町にはいつもより多くのベナン国旗が多くの政府機関で翻っています。また記念日前にたくさん売っていた手持ちサイズの国旗を飾っている車なども多く見られます。独立記念日には各地で記念行事(おそらくお祭りか)があり、特に毎年ごとに一つの町が選ばれ、そこでは大きな記念式典があるそう。今年は北部のnatitingouという町で式典が行われたそうですが、諸事情で私は移動できない身だし、テレビも見ることがないので、これから人の噂を頼りにするのみです。本当はラジオ情報通になりたいのですが、まだまだ語学力が不足しているのと、ローカルな情報に関してはフランス語ではなくフォン語などのほうが多く使われているのが現状です。
 
 そんな中で自分のラジオや、誰かが道端で聞いている放送から聞こえてきた曲があります。"Indépendance ChaCha"(独立のチャチャ)という曲です。タイトルに含まれるチャチャという言葉を見れば、これがキューバ由来のチャチャという音楽ジャンルと関係があることが推測されます。けれどもこの曲を作曲・演奏したのはコンゴの音楽家のGrand Kallé et l'African Jazzという人たちです。まあ元々はアフリカから奴隷貿易で多くの人がキューバなどの中南米に連れて行かれ、そこでまた多くの人種・文化の混合によって生まれてきた音楽がルンバやマンボやこのチャチャだと言われていることを考えると、逆輸入のようなものだとも想像されます。実際にベナンにでは、町で流れている音楽を聞いて、(自分の思う)ラテンぽい曲が結構あるなということを感じました。ベナン人もその歴史的背景をもちろん知っているし、どうやら踊ったり演奏する彼らを見ているとしっくり来ている様子です。楽しそうで。
 話を戻すと、この"Indépendance ChaCha"はその「アフリカの年」と呼ばれる1960年に西アフリカ一体で流行したヒット曲だそうです。前述した音楽の親和性もあると思いますが、歌詞の内容を見ると歌いだしの部分は
「私たちは独立を勝ち取った 今私たちは自由だ 円卓会議で私たちは勝利した 万歳私たちの勝ち取った独立!」
原語はリンガラ語で歌われていて、翻訳されたフランス語から自分で訳したので少し間違いがあるかもしれませんが、このように独立の喜びを歌い上げた曲です。楽しげに明るく。(曲を聴いてください。)
円卓会議というのは、1960年の1月にベルギーのブリュッセルでベルギー政府とコンゴの独立運動諸派の間に開かれた会議で、ここでその年の6月にベルギー領コンゴが独立することが決定したのです。この曲はその会議の開催中にベルギーで録音され、ラジオを通して大ヒットしたそうです。

(つづきはまた書きます。まあ聞いて欲しいです。)
 
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