八月が終わるといえば、長年学生として夏休みを繰り返してきた自分としては、=夏休みの終わり、を連想させます。
Oh, summer sunset past the view in the slow days
Orange days, orange sky in the slow days
長い 長い 夏休みは 終わりそうで終わらないんだ
別人になる 夢を見る 子供の頃の顔をする
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フィッシュマンズ「SLOWDAYS」
僕はこの曲を聴いたときに、自分が子供の頃に別人のように変わる自分を夏休みの間にいつも想像していたのを思い出しました。まあ俗っぽく言うと、新学期デビューするって感じか。(この歌の言いたいのは別のことかもしれませんが)
去年まで大学院に居たときも、夏休みの間に研究も進めていましたが、大学のキャンパス内は閑古鳥が鳴いているし、思えば小学生の時にも宿題や自由研究をしていたし、気分は夏休みでした。
今年は、夏休みというのを幼稚園入園前以来か分かりませんが、意識せず過ごした年でした。協力隊員(ボランティア)という身分ではありますが、職場で職員と共に仕事をしているので、職員と同じようなリズムで活動をしています。
もう一つ、ここ西アフリカのベナンのコトヌーにいる僕としては、この八月といえば、=ラマダン、でした。そして今日は約一ヶ月前の8月1日に始まったラマダンが終わった翌日8月30日です。といってもイスラム暦にしたがって行われるラマダンは西暦では毎年11日程ずれていくそうで、今年のラマダンがちょうど八月にすっぽり入ったのは偶然です。
ここコトヌーではどれくらいの割合か知りませんが、イスラム教徒も多く、モスケも複数存在します。知人・友人にもイスラム教徒はかなりいるので、日本を違って身近なものです。ラマダンといえばやはり断食のイメージですが、ラマダンというのは単なるイスラム暦の月の名前だそうで、断食自体には別の呼び名があったりします。僕の周りではフランス語のCarêmeという言葉を使っています。
去年ベナンに来てから今回が人生で二度目のラマダンを身近に見る機会で、イスラム教徒の友人に色々質問したりもしますが分からないことも多いです。ここベナンの経済首都コトヌーの場合は、イスラム教徒以外にキリスト教系やヴードゥー教などの人も多く、彼らは日常生活では垣根なく付き合っているようです。
例えば以前あったヒトコマ:断食の最中の昼間に、無宗教の友人一人とイスラム教徒の友人一人と昼ご飯を食べに行き、僕ともう一人の無宗教組は飯にありついて、もう一人のイスラム教徒の友人は一緒にいるけど食事も飲み物もとらずおしゃべりだけしていた。
こんなことは何度かあって、昼間の断食は日常風景です。それに、ここコトヌーでは不敬虔?なイスラム教徒も多いので、昼間食べたり、お酒飲んだりする人もいます。(病気の人などは食べてもいいらしいので、その辺の判断の仕方も影響しているのか)
そんな断食が終わって今日は祝日だったんですが、僕は普通に職場で活動していました。最近、自分的には活動が軌道に乗っているし、楽しいです。他の職員も平日の祝日はけっこう出勤しています。今日は同僚のイスラム教徒だけはお休みしていて、きっとラマダン明けを祝っているはずです。
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「大人になんてなりたくない」あなたの残した言葉と影
さよなら元気でいつの日かまた会いたいね
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小島真由美「さよなら夏の光」
とゆうわけで、こんな曲がマイブームだった僕は、相変わらず夏休み気分が抜けないよう。
(この記事をここまで書いてきて今気づいたんだけど。)