2010-07-23

Vodoun(ヴードゥー教)の集会

 シャワーを浴びて足裏の泥を洗い流して一息ついたところ。サッカーワールドカップを仲間とサロンで観ていて、ポテトフライも食べ終わってシャワーでも浴びようかと部屋に戻りシャワールームに入ったら、窓からガラスコップを叩く音、タムタムの音女性の歌声が聞こえてきて、「んーどうしよう、多分あの奴隷通りに面した大きな中庭から聞こえてくるようだ、、どうせ見に行っても中には入れないだろうし、なぁ。や、でも用事もないし、どんなリズムなのか近くまで行って聴いてこよう。」と思って真っ暗な通りにに出て、音が発っせられる扉の前まで来て動画と音声を録画・録音し始める。たまに眩しいバイクが通り過ぎていくので、そそくさとその場を離れる。
 扉から少し離れた所につっ立っていると、2,3人の子供がやってきて「見たいんでしょ?」と声をかけてきて、扉を手間取りながら開けてくれて、その中庭に招き入れてくれる。左手前の扉から入った中庭の右奥の家の前に40人ほどの人たちが長い木のベンチに四角く腰かけ、また数人はその中で踊っている。その敷地の前でいつも果物を売っているお母さんが端っこに座っていて、ベンチに座るよう勧めてくれる。「写真はだめだよ。」。近くの子供が長さ30cmくらいの半分に割った一節分の竹を二本渡してくれた。四角の右手前に座る女性たちは皆同じようなものを持っていて、カンカンカン、、カンカンカン、、と一定の調子で叩く。それに歌っている。その歌は四角の中心で一人指揮をとる女性の歌いかけに応えるように続く。左手前には小さな鉦らしきものを速く叩く男性が二人、中くらいのタムタムを二本のバチで叩く少年が一人、大きなタムタムをL字型のバチで凄い勢いで叩く男性が一人。左手奥にはぎゅうぎゅうに集まって座る子供たち。中心から右手奥までは、リーダーらしき伝統衣装をまとった初老の男性を含めた数人の男性がそれぞれの椅子に座っている。
 女性、子供、男性が二人ずつ次々に出てきて順番に踊る。「踊らないと。」とさっきのお母さんに言われて私も前に進み出て、見よう見まねで手足を振ってみる。女性たちの叩く竹と男性たちの鳴らす打楽器が作り出すポリリズムが段々と身体に馴染んでくる気がちょっとした。曲は静に止まって雑談になったり、リーダーのお話になったりして、また思い出したように次の曲が始まりだす。ひょうたんで作った器が回って皆が硬貨を入れていく。鉦を叩いていた少年がリーダーに呼ばれて、ジンの瓶を持って地面に少し撒いてから、時計回りに注いで回る。指揮をとる女性が猿の真似するみたいに高い声を上げて、トランス状態になったようだ。そのうちその場を離れて部屋の中に入ってしまったと思ったら、数分後に鮮やかな色の衣装に着替えて、顔を派手に化粧して再登場。何かストーリーのある儀式なのかと思うが、みんなのやり取りはフォン語で、フランス語で隣の女性に尋ねてみたら「毎週日曜日の夜にやってるんだよ。」と教えてくれた。次の曲が始まり、また泥だらけになってしまった足を少し思い出して、「この曲が終わったら部屋に戻ろう。」
 違う世界に出会ったわくわくとすくみと。世界は一緒じゃないという豊さに対して感じる嬉しさと不安と。早めに切り上げてきて部屋で考えている自分の耳に、まだ外からの歌声と鳴り物が聞こえている。

2010-07-22

研修それから小学生との交流

 Ouidahでの滞在中は月曜から金曜まで全日、土曜は半ドン(?)でフランス語研修を受けていました。朝の授業は8:30から12:30、昼休みを2...zzz...時間挟んで2:30から5:50までの午後の授業。その間に中間テストと最終テスト、そして最終日の今日7/21は全員が10分スピーチを発表して終わり。
 都合で途中先生が変わったのですが、どちらも魅力的な先生で得した気分です。最初の先生はフランス人の女性で語学を通して奴隷貿易やフランスとアフリカの関係のことなどを冷静に語ってくれました。二人の先生は地元ウィダ出身の男性で、ベナンの伝統的な習慣や宗教について熱く語ってくれました。、、、といっても半分も理解できませんでした、、、、(お菓子を食べて過ぎて美味しいお夕飯を残してしまう気分です。)目先の面白いこと楽しいことにうつつを抜かして。
 日本での2か月の語学訓練でフランス語の初心者から初級者に成長した私でしたが、この研修中に中級者への厚い壁を目のあたりにして、脆い箇所はないものか、、壁を撫でたりコツコツしたりしていたような状況でした。でもがっぷり四つに組まないとダメだ。(ほんとは初めから分かってた。。)
 
 昼休みが長いのはシエスタ(昼寝)を取る習慣があるためだと思いますが、この時期のベナン南部は小雨季で気温も低く過ごしやすいので、僕は寝ないで楽器を吹いたり手紙を書いたりしていました。その手紙、というのは、研修を受け入れてくださった小学校の生徒との文通です。研修が始まって間もない頃に年長の生徒数十人との交流会があったり、授業の合間に遊びに来る子たちもいたりで、知り合った子がしばしば!手紙をくれました。ベナンやウィダについて学校で習ったことを書いてくれたり、なんか頂戴とか、日本に行きたいとか、別れの言葉とか。手紙を読むのも書くのもいい勉強にもなるし、子供たちはこちらが言葉が分からなくても辛抱強く話しかけてくるからいい先生です。またウィダに来て再会することを約束してお別れしてきました。
 交流会で子供たちが歌ってくれたて象に残った曲が一つありました。

歌詞(lyrics)
Au clair de la lune, mon ami Pierrot
Prête-moi ta plume, pour écrire un mot
Ma chandelle est morte, je n'ai plus de feu
Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu

メロディ(melody)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)
レレレレラ-ラ-/レドシラソ---(re,re,re,re,la-,la-/re,do,si,la,so---)
ドドレミ-レ-/ドミレレド---(do,do,do,re,mi-,re-/do,mi,re,re,do---)

 先生達の説明によればフランス語圏(francophone)の子供はみんな知っている歌だそうです。僕もメロディは日本で何か練習曲のようなもので聞き知っていました。フランス民謡らしい。
 印象的と言ったのは、馴染みやすいメロディでということと、二行目の歌詞が理由です。直訳すると「一つ言葉を書くために、君のペンを貸してくれ」なのですが、ウィダでの三週間でしょっちゅう子供から言われたのが、「ペンを頂戴。(Donne-moi ta vic.)」という頼みです。子供たちにとって外国人/白人はお金持ちで色々な物を持っている人たちなので、ねだって貰っちゃおうということです。日本でもたまに友達のペンを取ってしまったりとかあるけれど、自分よりお金持ちに貰おうという発想はあまり一般的でないと思う。ウィダで過ごしてみて、日本とベナンではお金持ちと貧乏人の存在やそれに対する考え方(納得の仕方)というのが違うようだと感じた。
 ウィダでは子供達と触れ合う機会がとても多くて、仕事とは関係ないけれど、ベナンを知っていくのに実りの多い滞在だったと思います。

Ouidahで体験した伝統、宗教、個人的なこと

ウィダOuidahからコトヌーCotonouに帰ってきました。とゆうわけで、またインターネットがサクサク使える環境になりました。Ouidahで過ごした6/28---7/21の3週間で色々と面白い体験をしたので、これから順ぐりに書いていきます。

---予定---
2)Vodoun(ヴードゥー教)の集会
4)伝統医療?呪術師?Gris-Gris(グリグリ)?
5)奴隷貿易のこと

2010-07-11

ウィダOUIDAHでの語学研修


 コトヌーから西に40Km、海沿いの町OUIDAHウィダで(引き続き)語学研修を受けています。OUIDAHは奴隷貿易の一大中継地だった町であり、博物館や史跡など見ることができます。そのため多くの観光客が訪れるベナン随一の観光地でもあるそうです。(次回書きたい。)
 そのウィダにある小学校L'école Brésil[ブラジル学校]で教室を借りて3週間のフランス語研修を受けています。校庭を真ん中に教室棟がコの字型に配置されていて、下写真の奥にあるように壁のない屋根だけの教室もあります。教室内は自然光のみで、晴れた日には十分に採光されていますが、雨の日は暗すぎて黒板の字が読みにくいです。といっても、、、ランプをつければいいかというと、ここには停電があります。ベナンに来てから日々気付けば、数秒、数分から数時間の停電が発生します。昨日のリスニングテストは停電のため延期になりました。日本にいるときに良く地震が起きて学校が壊れちゃえばなあ、と思ってたけど、そこまでしなくても停電すればいいですね。次からはそう思おう。そう、それにリスニングするにもここでは、窓からは雨粒の音、休み時間になって校庭を走り回る子供たちの歓声、教室のそばまで来て囁きかけてくる子供の声、などが一緒になって聞こえてくる。
 
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