漁港周辺で生業を立てている人といえば、漁師や魚の仲買人が主役である。それ以外にも、食べ物や日用品を売る人も多く見られるし、漁港の管理・運営をする職員たちもいる。
漁港の主たる機能は、漁船が発着し水産物が水揚げされて、それらが売り買いされることにある。水揚げされた魚が一杯に金だらいに盛られ、それを仲買人や漁師が頭上に載せて運ぶ。魚の盛られたたらいは30Kgほどにもなるから、いかに足腰の強くバランス感覚の研ぎ澄まされた彼らでも両手で支えて運んでいる。高級魚を狙う延縄漁を営む漁師たちは大きな荷車を所有して、これにハタやタイなどの大きな魚を入れて運ぶこともある。これ以外にも頻繁に漁港内を往来する荷車があり、これは魚の冷蔵用に使われる氷を運ぶのに使われている。漁港内には製氷機が稼働しているが、漁師や仲買人の需要に対して供給が不足している。そのため、コトヌー市内にある製氷業者が配達する大きな長方形のブロック状の氷も購入されている。配達車から降ろされた氷は角材のように荷車に積み上げられて、もしくは二、三本をたらいにのせて運ばれていく。
このように、漁港では日常的に物を運ぶ必要があり、クレーンやフォーク車といったものなしに、人手に頼って運搬作業がなされている。そこで、注意して見ていると、漁師でも仲買人でもなく物運びをしている人足が何人かいる。このような仕事をしている人を何と呼ぶのか分からないのだが、先刻読んでいた国木田独歩の「窮死」という短編に「立んぼう(立坊)」という言葉が出てきて、短編集の注解には[坂などに立っていて、臨時に、通りかかった荷車のあと押しなどをして生活している人。]とある。デジタル大辞林にも、[明治から大正のころ、道端に立っていて、通りがかりの車の後押しをして駄賃をもらった人。]とある。
この漁港の立んぼうも、漁港の通路などに立っていて、荷物を運ぶような動きがあるところに近づいて、そこに手を差し伸べている。私には顔見知りの立んぼうが二人いて、二人とも筋骨隆々の漁師たちに負けず劣らずがたいが良い。ひとりは、コートジボワール人と自称する若者で明らかによそもの然としていて、もうひとりも口数が少なくスムーズな会話のできない浮いた存在である。国木田独歩の短編では、土方や立んぼうといった「下等な労働者」の様子と彼らの窮状さらにはある者は死に至るまでが描かれている。そのような仕事が、身体を資本にしながら身体を酷使する、不安定な雇用形態、本人が望む仕事でない、他人からも劣って評価される、などの理由で窮死する要因を孕んでいること、そのような職に就く人の立ち位置が既にもともと不安定で浮いていたりすることも描写されている。別に漁港の彼らを見ていて一見そのような悲壮感はない。彼らは窮死に描かれた土方や立んぼうとは違うのかもしれない。もしくはそれは私の観察の未熟さの所為かもしれないし、万全のセーフティーネットに慣れている者の想像力の欠如かもしれない。
運ぶ人たち:
一般に途上国では統計から漏れている経済活動が多くあり、これをインフォーマル・セクターなどと呼ぶらしい。コトヌーの街中でよく見かけるものには、雑貨の行商人、露天商、屋台、非登録のバイクタクシーなど数え切れず、むしろそちらが主流とも思われる。自分の生活とそういった経済活動の関わりについて少し思いを巡らしてみると、動く、運ぶ、という要素が含まれることが多い。鼻緒が切れたサンダルを修理しに靴屋がやってくる、職場で小腹が空いたときに食べたいお菓子を持ってくる、夕飯に使いたい玉ねぎを頭に載せて歩いている、レストランで食べているとCDを売りに隣にやってくる、信号で止まった車には玩具を売りにくる、(隊員は規則で禁止されているが)バイクタクシーで好きなところに乗り付けられる。日本よりずっと便利な気もする。町中の人が必死で、小売をしたり、お手伝いをしたり、物乞いをしたりするので、とにかく彼らは僕ら消費者のところにやってくる。
2012-04-30
2012-04-24
Live 26/4 à Centre Culturel Américain Cotonou
出演:ドスー・セザールバンド
日時:4/26 19:00頃~
場所:コトヌーアメリカ文化センター
このバンドでの三度目のライブとなります。明後日ですが詳細不明。
日時:4/26 19:00頃~
場所:コトヌーアメリカ文化センター
このバンドでの三度目のライブとなります。明後日ですが詳細不明。
Live: DOSSOU César bande
Date: 4 avril
Heure: après 19H00
Endroit: Centre Culturel Américain Cotonou
3ème concert de DOSSOU César bande!
追記:アメリカ文化センター主催の「ベナンの企業家たちとジャズの夕べ」なる招待制のイベントでした。prospérité=「繁栄」という言葉が何度も繰り返されていました。繁栄と発展のニュアンスの違いはなんだろう。
postface:C'était un évènement "LA SOIREE JAZZ & ENTREPRENEURIAT" pour les invités. Le mot "prospérité" était répété plusieurs fois. Qu'est-ce qui est différence entre 2 mots prospérité et développement?
2012-04-12
2012年4月の近況報告
更新がまた開いてしまったので、ただの近況報告です。
1---フォン語学習サイト「フォン語ファン」を更新中!
2---最近の手拍子
3---バイクのヘルメット義務化始まる
1---二月に開設したフォン語学習サイトの内容が少しずつ充実。ベナンの地名の由来や特殊な忌み詞など、言葉から見える文化や歴史がある。にもかかわらず閲覧者がほぼいないとは。嬉しい沈黙。
2---最近始めた手拍子。/++-+/+-+-/--+-/--+-/+---/+---/ (/は小節線、+は叩くところ、-は休符) とあるお葬式にて、若者たちが盛り上がって手拍子していたものを採譜。歩きながらの暇つぶしには手拍子でしょう。
3---2012/4/1よりバイク利用者のヘルメット着用を義務付ける法律が施行された。その日の朝、あるラジオ局の放送で、(ベナン最大の)国立競技場にて2000個のヘルメットを無料配布するとの告知があり、騙された多くのライダーが殺到した。コトヌー市内において、いまだ着用者は1/3にも達していないようだ。
123--- 道すがら モニター前でも 拍子抜け
2012-02-29
world music current 7
個人的な話:
日本から離れて一年半以上経った。ベナンに来てから特にここ最近は日本の音楽をほとんど聴いていなかった。コトヌーでバンドに入って音楽を始めてみて、日本の音楽というか今まで自分が慣れ親しんできた音楽(国籍関係なく)の大半は、感じている世界が違うようで演奏するための参考にならないように感じた。これは特にリズムの領域に限定してもいいのだが、今まで自分が貧弱ながらも持っていたノリ、自分が聞いてきた音楽を参考に自分でそれを感じてアウトプットするささやかな作業技術、が通用しない。ラインで流れてくる部品と自分の持ってる部品が全く噛み合わない、ラインの流れと自分のペースがちぐはぐ。だから、前から持ってる音源はあまり聴かないことにした。
そんな訳で最近は、こちらベナンでは老若男女が踊りだすポリリズム(複数の拍子を同時もしくは連続に感じるようなリズム?と思っています。)な音楽、街角で聞こえるセレモニーの太鼓演奏や手拍子、いまだ年配層に根強い人気のあるサルサなどを一所懸命に聴いていた。どれも自分にとっては好きだけど聴いてもノリきれない音楽。なのにバンドで演奏する音楽のエッセンスはここら辺にある。そのエッセンスが自分の体にも染み込まないものか、と暇さえあれば体を揺らしたり太ももを叩いたりしている。「右手で四拍子、左手で三拍子。これは簡単だ。あれ、左手で四拍子、右手で三拍子にしたら、できないぞ。。」、「てくてくてく、てくてくてく(歩きながら)、3歩進んで5叩く、あれずれてるなあ、歩調は一定のリズムに保ちやすいから、、、おおっっと側溝に落ちそうだ。。」といった状態。
といった感じで、このベナンで西欧列強(日本も)を警戒しつつ音楽的鎖国をしていたここ半年ほどですが、インターネットを繋いだら、もうそこは日本。Googleの言語設定がフランス語になっているせいなのか、漢字だけのキーワードを検索すると中国語のサイトばかりヒットしてくるが、ひらがなかカタカナを一文字入力さえすれば、もうそこは日本語空間。(基本の言語をフランス語に設定しながら、漢字を打ったら日本語サイトを優先的にヒットさせるという設定はできるのか?日本語設定の時に漢字を打って日本語サイトが表示されるというのは、中国語サイトを検索結果から排除するという意味なのか?ある漢字を打ったときに、日本語サイトと中国語サイトを言語の違いというポイントだけを除いて優先順位を決めて検索結果を表示できたりするのか?フランス語設定での漢字検索はそうなっているのかも?)\脱線しました\
いつのまにか、暇な時はこのサイトhttp://www.kikuchinaruyoshi.net/を見るのが習慣になってしまった。何を隠そう、ここ三ヶ月くらいは私は「菊地成孔」さんのおっかけをやっているものです。といっても、彼の本の一冊もCDの一枚もラジオのオンエアも聞いたことがない。いくつかYoutube上のライブ動画やクリップを観たことがある以外は、ひたすらサイトの日記を読んでいるだけ。日記がけっこう長文で、数年分の日記がマウントされているので、かなりの量の文章が読める。日本に帰国したら、ライブに行ったり書籍を買ったりしたいが、ベナンにてインターネットで彼の日記とそのキーワードを検索するだけでも、それなりに楽しめる。ファッション、映画、格闘、音楽、料理、酒、デパート、ファンメールなどが頻出するテーマで、このテーマをいったりきたりしていて、どんどんと読んでしまう。きっとリズムがいいんだろう。
ちゃんと彼の音楽を聴いたことが無いので、日記から推察するだけだが、ここ数年の彼の音楽のに共通するテーマとしてポリリズムがあるらしい(日記に書いてあった)。確かにYoutubeで観たDCPRGの曲「構造Ⅰ」http://www.youtube.com/watch?v=CO8AJbq81Ckなど明らかにポリリズムだった。日記にも、エレベータに一人で乗って両手でポリリズムを叩いていたり、久しぶりに電車に乗って走行するポリリズムを楽しんでいることが書いてあった。彼や彼のバンドのリズムはすげー、ということが日記にもほのめかされているし、きっとリズム感がいいんだろう。
この人のことは、日本にいる時からテレビか雑誌を通して存在を知っていたのだけど、その頃は全然興味が無かった。ここベナンで彼に辿り着いたきっかけは、おそらくインターネットで日本語で「ポリリズム」とでも検索したのが始まりだったと思う(但し、ポリリズム+何か、で検索しないと結果が違ってくるが)。こっちで生活してみて、大半の人にとってはポリリズムは当たり前にある感覚で、そしてそれを演奏したり踊ったりするのは、とても気持ち良さそうに見える。その感覚があったら、きっと違う世界が見えるかもしれない、新しい身体性を持つことで今までと違う発想の問題解決ができるかもしれない、などと新興宗教に走る人達の気分はこんなものか、という希望が沸いてきてしまう。例えば、気功とか霊感とか超記憶術とか、あったら色々楽しそうなんだけど、まあ今のところ信じてない。自分にとっては、ポリリズムは肩こり解消とか近視矯正、などと似たような魅力がある。ポリリズム感覚は確かにここで存在するし、確かに自分にはない。日本人は持ってない人が多いだろう。そんなポリリズム欠落者にとっての宣教師というか、生活リズム指導とかも含めた怪しい教祖っぽい菊地さん。
「リズム感」の養成、なかなかいい娯楽じゃないだろうか。
2012-02-24
フォン語学習サイトをはじめました
ベナン南部で話されている言葉、フォン語の学習をするサイトを作り始めました。
ここでいう学習サイトは、既に語学に通じた人が学習者に対して提供するサービスではなく、ただ自分の学習したことをノートにまとめるようにサイトに掲載するだけのものです。だけれど、授業の内容をしっかりと書き漏らさず、かつ分かり易くノートにまとめる人は、他の学生からよほど重宝されると聞いているから、こんな個人的な記録も意外と他人の役に立ったらいい。といっても、この単位は不人気で履修者が少ない、見たがる人がどれほどいるだろうか。そして今後10年後も20年後も、おそらく日本人フォン語履修者はそれほど多くないだろう。
私自身の実際の学習環境では、フランス語によるフォン語の理解をしている。使用している辞書はフランス語・フォン語であり、教わっている先生というか友達とはフランス語で説明してもらっている。それを日本語に訳すことで、日本語によるフォン語学習ができるはず、というつもりです。
できれば、固有名詞たちには、写真をつけていきたい、食べ物にも写真や調理法までつけられたら、などと妄想してますが、得意の三日坊主にならぬようにしたい。副産物として、言葉から見えてくるちょっとした発見をちりばめたい。
ヴードゥー教、ダンス、ポリリズム、仮面、料理、商売、布教、研究、交遊、恋愛、はずみ、運命、協力、避難、趣味、暇つぶし
あなたも何かしらの理由でフォン語が必要になるかもしれない!
このブログ右側にリンクがあります。
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